鬼面仏心
2019年1月20日号
◆智と知
なんとなく不穏な感じの世界情勢の中で迎えた新年。年号も改まる年。幸多きことを祈りたい▼ところで日蓮聖人は『報恩抄』の中で「世、末になれば人の智はあさく、仏教はふかくなる事なり」と説かれた。時代が進めば賢くなり、科学も進み、寿命も延び、便利で、豊かで、幸せな世の中になるはず。なのに聖人は「人の智はあさく」なり「仏教はふかく」なるという▼仏教では「知」と「智」を使い分ける。「知」とは物事を記憶・識別・判断・計算するといった能力だ。あれは太陽、これは月と判る力で、コンピューターと同じ能力だ▼一方「智」は、「知」の下に「日」を書く。これは太陽を単に太陽と判るだけではなく、太陽の「恵み」を知る力だ。あらゆる生きものを育む太陽。その「恵み」に感謝し、太陽を「お天道さま」と呼ぶ。この「恵み」が判る力を「智」という。だから悟りの智慧という場合はこの「智」を使う▼物事をすべて数値・数量化し、人工頭脳で動くという近未来社会。それは人類に多くの便利さをもたらす「知」の成果と期待されている。しかしその反面、太陽の「恵み」を知る「智」がどんどん低下しはしないか。「知」の進歩が人間の「智」を「あさく」し、そのため本物の仏教は「ふかく」なる。安易で「あさい」仏教が流行るのはそのせいでは。先ず「智」を「ふかく」する努力をしよう。 (義)