鬼面仏心
2020年9月20日号
モノサシ
2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺傷事件。犯人(30)は、入所者19人を刺殺、職員など26人に重軽傷を負わせた。逮捕後に「意思疎通のできない重度の障害者は、不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」と語った▼「いのち」や人間を、必要か不必要か、役に立つか立たないかというモノサシで判断し、不要と思う人間を殺害する。彼にとってそれは善なる行為。だから罪悪感はない。彼の笑顔に狂気の怖さを感じた▼数年前、税金の無駄をなくすために行われた事業仕分け。その基準となった考え方が「費用対効果」だ。つまり投資に見合った成果を上げたかどうか。そして役に立つか立たないか、必要か不必要かを数量で評価。当初その歯切れの良さに拍手を送っていたが、このモノサシでは計れない、教育、スポーツ、芸術、医療、福祉、文化、宗教といった異分野までも裁断しようとする姿勢に、何故か違和感を持った。それは1歩間違うと相模原事件につながる考え方だから▼この世にたった1人の「自分」。たった1つの「いのち」。そしてたった1度の「人生」。不要な「人間」や「いのち」などない。すべての人がお釈迦さまの「我が子」だ。来年のパラリンピック。障害のある彼らの活躍が楽しみだ。(義)
2020年9月10日号
有名な野良猫
2ヵ月前まで、ニャン子は近所で有名な野良猫だった。ゴミ集積所を荒らし、家々からも食料を泥棒。畑を掘り返しては糞尿被害。しっぽが根元からねじれたキジトラで、警戒心が強く、激しい気性、まったく人に懐かない。危険な「ニャン子」と呼ばれ、見かければ追い払われた▼だが一方で、無責任な餌やりをする人たちもいて、彼女は毎年出産すると子育てのために泥棒を重ね、子猫も共に畑を荒らした。もしかしたら、彼女自身もそうした悲しい生まれの猫だったのかもしれない。そんな彼女が6月に再び出産。「とても大きなお腹だった。今年の子猫は多いに違いない」。彼女の存在が地域の揉めごとに発展しかけていた▼授乳期の彼女はすっかり痩せ細り、いつも以上に餌を探し回って3時間おきに見かけたほど。深夜、どしゃ降りの雨にずぶ濡れで餌を探す彼女は、わが子のために必死な母親の顔をしていた。私は思わず「みんなを連れてお寺においで」と語りかけた▼数日後、なんと、境内の子安鬼子母神堂の前に、7匹の子猫を連れた彼女の姿があった。私が扉を開けると、堂内へ入り、子猫にもみくちゃにされながらお乳を与え、潤んだ目で鬼子母神さまを見上げていた。鬼子母神さまに救っていただいた彼女は、そのまま住み着いて、避妊手術を受けた今では室内飼育の寺猫修行中。里親募集中の子猫と穏やかに過ごしている。(花)
2020年9月1日号
人生はんど仏句
日蓮宗新聞社論説委員・日蓮宗現代宗教研究所顧問を務めた中村潤一師が亡くなった。師は32歳で「九州新翰箋」で新聞デビューし「人生はんど仏句」「マゴに聞かせるお釈迦さま」など数多くの連載を発表し続けた。「いけがみ」など他寺の寺報やタウン誌にもコラムを持っていた▼師の僧侶としての生き方に影響を与えたのは、40数年前、現宗研主任であった石川教張師。教張師は、その時代に相応しい布教をと文書伝道を示唆し、その場も紹介したという▼宗門の布教方針を作成する部門に長く在籍し、時の宗務総長が臨席する会議で、机を叩いて熱弁を振るったという武勇伝もある。七百遠忌の布教方針をほぼ1人でまとめた教張師に倣い、信行必携第2版を1人で書き上げたのは潤一師であるが、そこに名前はない。黒子役に徹する仕事が多かった人である。「やはり野に置け蓮華僧」。師が自嘲気味に語る自分の姿がある▼今からは地方の時代であると、昭和55年4人の若手僧侶とテレフォン説教・地涌の声を立ち上げ、2人を宗務所長に、後の2人を布教師会長に育て上げた。自分の主義主張を押し付けるのではなく、人を育てることを目的とした会であった。晩年に次世代のためと15人の若手と私塾を作っている。その活動は他県にも及んだ。「人を育てないものは1代限りと思え」。日蓮聖人の晩年を思い出すのは私1人だろうか。(雅)