鬼面仏心
2018年5月20日号
国内11教区と海外2ヵ所の計13ヵ所で
国内11教区と海外2ヵ所の計13ヵ所で行われる日蓮聖人降誕800年慶讃法要。マレーシア、山静、中部教区は昨年終了。今年に入って北関東、中四国教区が開催。どの会場も檀信徒でいっぱいの大盛況。秋には近畿、九州教区の実施が決まっている▼この法要には3つの開催要件がある。1つは法要の導師は管長猊下であること。2つ目は宗門の次代を担うお寺の子弟を参加させること。3つ目は法要とは別に、未来にお題目を伝えるスタートとしての誓願の唱題行を行うこと。この3つを柱に、各教区は智慧と力を結集。和讃や仏讃歌、さらに講談などを取り入れ、慶讃法要を盛り上げていた▼特に圧巻だったのは千人、2千人の参加者で唱える唱題行だ。会場全体がお題目に包まれ、まさにマンダラの世界が。異体同心の喜びと日蓮宗徒の誇りを感じた▼企画から後片付けまで、教区長を中心に教区内の僧侶檀信徒が協力。大変なご苦労だったと思う。その苦労が参加者に感動を与えたのでは。慶讃法要とは、教区の人びとの信仰が創る一大総合芸術だ▼感動を胸に会場を後にした私。しかし、1歩外の世界は信仰とは無縁の殺伐とした世界。50年後に思いを馳せ、慶讃850年はどうなるのだろうと思った。信仰とは「伝えて」こそ「伝わる」もの。「いま」は過去の努力の上にある。とすれば50年後に未来は「いま」の上に。私たち1人ひとりがもっと「伝える」努力をしなくては。(義)
2018年5月10日号
「この人どうしたの? 何をしたの?」
「この人どうしたの? 何をしたの?」小学生の娘が不思議そうに聞いてくる。子どもにどう説明したらいいのか…とっさの返答に困るようなニュースが連日テレビを賑わせている▼「悪いことをした時にはちゃんと謝ろうね」「お友だちが嫌がることはしないこと」「嘘をついたらダメ」子どもに言い聞かせていることと真逆を行く大人の姿。子どもの目にはどう映るのだろうか▼当事者自体も問題だが、世間が必要以上に騒ぎ立てて、1人を吊るし上げる風潮も大いに問題のように思う。私もつい正義を振りかざして人の非を責めてしまいそうになるが、「批判をするのは簡単。自分ならばどう行動していくかを考えてほしい」と以前、恩師に言われた言葉がふと頭をよぎる▼先日、バスに乗った時の出来事。「次…停まりま…す」アナウンスをする運転手さんの声が酷くかすれていた。聞きづらいとばかりに訝しそうな顔をする乗客もいた。終点に着いた時、1人のお婆ちゃんが何かを運転手さんに手渡した。「これ、とってもいいから」。運転手さんの手にはのど飴が2つのせられていた。娘たちは「やさしいね♪ お婆ちゃん」とにこにこ。運転手さんだけでなく、バスに乗り合わせた皆の心も温めてくれたお婆ちゃん。人の心を温め育んでくれるのは相手を思いやる仏さまの心。社会がそんな心で満たされるよう、行動できる大人でありたい。(蛙)
2018年5月1日号
寺の子だったら「人が死ぬともうかるらしいな」
寺の子だったら「人が死ぬともうかるらしいな」と同級生から悲しい言葉をかけられた経験があるだろう。この言葉を、どう受け止め、どう克服していくか、それが寺の子の成長の一面である▼大学の先輩から1冊の本が送られてきた。彼は東京証券取引所1部上場仏壇チェーン店の3代目会長である▼仏壇は持仏を安置する持仏堂に由来する。中世になり霊の依り代として位牌が普及してくると、家の中に棚(壇)が必要になる。家の中の持仏堂だ。そこが家庭での仏壇であり、先祖供養の場となった。明治以降、日清・日露と戦没者が増え、仏壇は一般化していった▼本の中に、福岡県の炭鉱地帯の1仏壇店が、業界屈指の大手に成長していく過程が書かれている。昭和38年に三井三池炭鉱で458人が死亡し、839人が一酸化炭素中毒に罹るという戦後最悪の炭塵爆発事故が起きた。2代目は、事故で亡くなった家へ、仏壇の訪問販売に行く決心をした。親しい僧侶から「悲嘆にくれ明日が見えない遺族に商品を売るには『ひとの不幸を商売にして…』と、塩を撒かれるぐらいの覚悟がないと」と忠告され、供養の心の大切さを説いて回った。罵倒されながら100基以上の仏壇を売ったという。商売だからと言ってしまえばそれまでだが、「お前さんの僧侶としての覚悟は?」と問われると、本当の使命に気付かされる私がいた。 (雅)