鬼面仏心
2022年9月10日号
■帰る場所
私が11代目の住職を務めるお寺に8代目住職の遺骨が帰ってきた。お盆になり、いろいろなホトケさまがお寺に帰ってきたようだ▼3代前の住職だが私が赴任する7年前までの1年半の間、住職を務めた人だった。事情があって、寺を離れて会社員になったと聞いていた。2年前に亡くなり、葬儀の導師を務めた僧侶から確認の電話があった。私のお寺に僧籍もあり、住職であったことを伝えた。その後、住職時代を知らないというその8代目の住職の妻から電話があった。遺骨の行き場がなくて困っているという。総代・世話人に話をし、遺骨を受け入れた▼そんな時に葬儀社から「元檀家というお宅から、そちらで葬儀を」という依頼があった。事情を聴くと、かつて思うところがあって寺から離れた家だという。檀家である親戚の紹介もあり、これも受け入れた▼さらに続くもので、お盆の最中に7代目住職の長男が、東京で亡くなったという知らせがあった。一般の道を選んだ人である。歴代墓の隣りに、この家の墓はある▼顔も知らない前述の2人に加え、計3人のホトケさまが、切れたお寺とのご縁を結び直すように、お盆に帰ってきた。いつの日にか誰かが帰ってくる場所を、静かに護り続けるのが住職の務めだと改めて思った。ご宝前で仏さまとのご縁を強く感じたことに感謝しながら、掌を合わせた。
(雅)
2022年9月1日号
■戦なき仏国土へ
昨年丹精込めて剪定したアジサイが、今までにない大きな花を咲かせた。苦労の甲斐があったと思ったのも束の間、無残にも鹿に折られ、葉っぱもちぎられてしまった。山が荒れて食べる物がなく、里へ出てくるようになった。毒性が強く今まで食べなかった植物まで食べている。目先の空腹に勝てないためだ▼目先の利に惑わされて後で苦しむとはなんと浅はかなと思うが、我々人間にもよくあることだ。というより他の動物には見られない愚行を繰り返すのが人間だ。戦争である。動物は同種では争っても敢えて生命まで取ろうとはしない。しかし人間は違う。戦争は互いに殺し合うことを目的とする。勝っても負けても、亡くなった人は無論家族親族、知人にまで累が及ぶ▼国と国の利害、あるいは宗教上の問題や民族間の感情など、原因は種々あろう。しかしことの是非を問う以前に、戦争は人が人を殺戮する行為であることを思えば、絶対にしてはならないものだ▼暑い夏が来ると、お盆の行事にあわせて、原爆投下・敗戦と、かつて日本を襲った悲惨な出来事が蘇ってくる▼誰もが安心して暮らし、安穏な生活ができる世の中、そんな世界「仏国土」の実現のために宗祖日蓮聖人は生涯をかけられた。後に続く私たち1人ひとりが心するとともに、国のかじ取りをする為政者にその精神をしっかり持ってもらいたい。 (直)