鬼面仏心
2015年4月20日号
日頃何気なく使っている道具にしても、
日頃何気なく使っている道具にしても、それが無ければ困ることが多い。ちょっとメモしておきたいと思ってもスマホもない、筆記用具も手元にないとなれば、どうにもならない。あっちだこっちだと探し回っているうちに、何をメモするのか忘れてしまうという恥ずべきことも時にある▼たかがボールペン一本でも大騒ぎ。これが食料や水、空気などという生命に関わるものだったらどうなることか。水や空気は普段気にもしていない。あって当然と意識の外にあるものだが、無くなったらどうなるのかと思うと想像するだに恐ろしい。現実にそれがなくなった時のことを考えれば心の備えをしておくことはとても大切だ。それなのに、そんなこと気にもしないというのが、私たち人間の常である▼これがために仏は身を隠されたと説くのが法華経である。仏は永遠の生命をもって常に私たちに慈悲の御手を差し伸べ見守り続けておいでになるという。しかし私たちはその尊さ有り難さに気付かないほどの鈍い愚か者に成り下がっており、仏はそのことを気付かせるため身を隠されたのである▼仏と同様に宗祖日蓮聖人に対しても、私たちはその有り難さを忘れ気にもかけないようになっているのかもしれない。時に仏が、宗祖がおいでにならなかったら、と思うことも大切だ。今月28日は立教開宗の日。新たな思いを胸にしたい。(直)
2015年4月10日号
「如何なるを苦しきことと問うならば、ひとを隔てる心と答えよ」
「如何なるを苦しきことと問うならば、ひとを隔てる心と答えよ」とは良寛の詩である。隔てるとは、元々は神が天に昇り降りする時の聖と俗をへだてることをいう。転じて、自分と他人とをわける言葉に使われるようになった▼憲法では「ひとしく教育を受ける権利」をうたっているが、現実はそうではない。紛れもない日本人なのに日本国籍を持てないでいる無国籍の人がいることをご存じだろうか▼妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子とする民法の規定がある。その制定は明治に遡るので、当然現代に合わない。妻が離婚後300日以内に出産した子は離婚前の夫の子となるため、離婚後同居した男性の子と分かっていても、戸籍上我が子とはできないのだ。前夫の子としたくないために、出生届を出さないままにしてしまう。或いは、夫のDVから逃れて知り合った男性との間にできた子を届けられず、その結果、住民票がないために義務教育が受けられないことになる。神奈川県在住の飯田さん(33)もその一人だ。義務教育の勉強は両親が教えてきたが、住民票がないため定職につけないでいる。住民票は戸籍がなくても自治体の判断で作成が可能だが、それがあまり知られていない▼ひとをへだてる心を持たず、しっかりと現実を見ていかねばなるまい。一人ひとりが関心を持ち、声を挙げていこう。現実を見て見ぬふりをするのは、お祖師様の立正安国の精神に反するのだから。(汲)
2015年4月1日号
鬼面仏心に拙い文章を書かせていただいて何回目に
鬼面仏心に拙い文章を書かせていただいて何回目になるのだろう。過去の原稿は2つのハードディスクに保管してあったのだが、最近相次いでクラッシュしてしまい、原稿が消滅してしまった▼困っているところへ原稿の締め切りが近いという連絡をいただいた。しかし、焦りもあってテーマが見つからない。ちょうど境内の緋寒桜が咲いたのでその事を書こうと思って机に向かっていて気がついた。そういえば昨年、桜について書いた覚えがある。さてどんな内容だったか▼全てをコンピューターに任せていた事への後悔の念が膨らむ。せめて印字した原稿か掲載された新聞を取っておけばよかった▼1年前のことを忘れている自分の老化現象にも呆れた。それにしても1年近く経ってしまったとは驚きだ。歳をとると時間の経つのが早く感じられるという話を何処かで読んだことがある。生まれたばかりの子どもが感じる1年を365日とすると、70歳の人が感じる1年はせいぜい70日程度だと書いてあった▼最近では、来年の秋にまた会おうなどと、子どもなら気の遠くなるような約束をして古い友と別れることも多い。そして再会したときには1年間のブランクなどなかったかのように話が弾むが、高齢化による時間の錯覚だとすれば手放しで喜んでもいられない▼歳をとってのコンピューターもいいが、大切な時間を自らの記憶に焼き付けながら生きることも大切なのだと自らに言い聞かせる。(寮)