鬼面仏心
2016年6月20日号
歯茎に異常を感じた。
歯茎に異常を感じた。さほどのことはないと放置していたが、何となく気になって歯医者へ出掛けた。「大ごとにならない内にと、診てもらいにやって来ました」と先生に申し上げたところ、「これはすでに大ごとになっています」と告げられた。これという自覚症状もなく、そこまでとは思わなかっただけに受けたショックは大きかった▼歯が悪くなると食べるものが美味しくない。そのため栄養を充分摂取できず健康を害する。そればかりか歯が欠けるとフガフガして思うように話せなくなる。まさに歯は人間の根源を支える重要な器官といえる▼そんな大切な歯だが歯磨きを怠ったり油断すると、すぐ悪くなる。6月4日からの一週間は「歯と口の健康週間」とされる。6と4で「むし」に因んだものだろうが、油断しないためにできた大事な行事だ▼歯や身体に限らず、建物の維持管理更には森林の保全等々、何事によらず、それこそ大ごとにならないうちに適切に手を打つのは大切なことである。油断は単に高くつくだけではすまない。家屋の倒壊や山の崩落、川の氾濫など、生命に関わることにもなりかねない▼日頃から心に留めることが肝要だが「つたなき者のならいは約束せし事をまことの時は、わするるなるべし」(『開目抄』)と宗祖が訓戒されている。常々忘れることなく注意を払うことが、身を守り国土を護ることになる。(直)
2016年6月10日号
「じゃ自分でやってよ」「バカ、俺はできないから、演出家になったんだ」
「じゃ自分でやってよ」「バカ、俺はできないから、演出家になったんだ」。先日亡くなった演出家蜷川幸雄さんは、厳しい稽古に音をあげた役者にこう言い返した▼俳優兼演出家であった蜷川さんが演出家に専念したきっかけは、女優の太地喜和子さんの「蜷川さん、お願い。尊敬できなくなるから俳優やめてちょうだい」の一言だというから驚く。自分を知るとは、自分の心の奥底を見つめ、ダメな面も受け止めてのことなのだろう▼いま「アドラー心理学」が注目されている。過去に原因を求めず、今の目的を考えるというもの。周りから認められなくてもいい、自分の価値は変わらないのだから。何をしてもらいたいかではなく、自分に何ができるかを考える。そこに、より幸せと慶びを感じるという▼お釈迦さまは2千年以上前に、他の人の苦を抜き、楽を与える「菩薩行」を説かれている。繰り返し起こる地震によって、物よりも心の価値を優先するべきだ、自分は何ができるのか、と考える若者たちが増えているようだ。愈々もってそれに応えるべき人材が求められる▼江戸時代末の優陀那院日輝上人が「どうして外に出て教えを広めないのですか」という弟子の問いに、「私の代わりに布教する者たちを育てるのが自分の使命だと思っているのだよ」と語ったという。「自分には何ができるのだろうか」と、問い続けた末にあるものなのだろう。(汲)
2016年6月1日号
中学校国語の教師を度々思い出す。美しい女性だったことに
中学校国語の教師を度々思い出す。美しい女性だったことに加えてもう1つ理由がある。それは、国語の教師であるにもかかわらず日頃から漢字の止めや跳ね、払いは気にしなくていいと言っていたことだ。さらには、点を付け忘れても意味が通じればいいとも。我が意を得たりだった▼漢字は象形文字から派生したと聞いていたから、書き順があることも不思議だった。山の形を真似て「山」という字を書くのに、どこから書いてもいいではないかと、少年時代から思っていた。作家の吉川英治氏は、川を真ん中の1本から書いたとも聞いていた▼ところが昨今の国語教師の採点は厳しい。どう考えても正解の漢字テストに×を付けられる子どもが可哀想だ。字体と字形が混同され、下手な字で書くと正解ではなくなる。希に見る悪筆の小生はそれで5点くらい損をしていたかもしれない▼文部科学省がこれに対する指針案をまとめた。厳し過ぎる教員の採点に注意を促しているのだ。例えば「天」は上が長くても下が長くても可とし「公」は止めも払いも可とする等々。但し「未」と「末」のように意味が違ってしまう字は厳格にとある▼文字の本質は意思を伝えることにある。形にこだわらず肉筆で書くことで文字文化の崩壊を阻止するそうだ。が、手書きの原稿では編集者が苦労するという言い訳が聞こえ、ワープロが活躍する。(寮)