鬼面仏心
2023年8月20日号
■いのちに合掌運転
信号のない横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいれば、車は横断歩道手前で止まらなければならない。しかし、実際に止まるドライバーは多くない。横断歩道にいる歩行者は、車が行き過ぎるのを待ち、流れが止まったところを狙って渡っている。「それ、ただ歩行者が道路を横断しても良いっていう場所だけになってる!」と思わず心で突っ込んでしまう▼あと「止まれ」と書いてある場所の一時停止。「みんな止まってない!」。小生はどんなに一時停止箇所が連続してあっても必ず止まる。(当然か)▼先日、歩行者を通した次の一時停止で再び止まった時、後ろの車から警音器を鳴らされた。続く3度目の一時停止でしびれをきらし、細い路地にも関わらず小生の車の横につけ窓を開き、罵声を浴びせ出した。小生が「交通ルール」を伝えると相手は「バカ」を連呼しながら、追い越し去っていった▼読者さんで、警音器を頻繁に鳴らしてしまう人はいるだろうか?実は安全運転や法定速度を守っていれば、ほぼ鳴らす状況にはならない。ルールを守らなかったり、スピードを出しすぎて対応が遅れたり、傲慢な人が警音器を鳴らす▼横断歩道での歩行者優先、一時停止、安全運転…、これらを守ることは、他人や自分のいのちと生活を守ること。「いのちに合掌」はそういうことでも実践できる。安全運転を。
2023年8月1日号
■いいお別れ
60年前、エレキギターを持つだけで不良と呼ばれた時代があった。その時、練習場所を求めて寺の納骨堂に集まった5人組は少し世間を斜めに見ていたかもしれない▼その仲間の1人から電話があった。ステージ4で抗ガン剤治療中だという。彼は続いて、ほかのメンバーからの「病気には気合いだ。ロック魂で闘え!」という電話やメールでのメッセージを止めてほしいと懇願した。問題児を説き伏せたことを彼に知らせようとしたが電話がつながらない。1週間後、亡くなったという連絡があった▼困惑したのは、本人と遺族の希望で私に葬儀をという依頼があったことだ。彼は宗教を全く信じない、頼りにしないと広言していた。僧侶になった私とは話が合わず、20年来疎遠になっていた。彼の菩提寺は日蓮宗で、遺族・菩提寺・私の3者で協議し、通夜と説教は幼なじみの私が、葬儀と七七忌は菩提寺の住職が、初七日から六七日まで私が遺骨を預かることになった。「なぜ七七日が必要なんですか」という遺族には、この期間がお別れのための大事な時間であることを説いた▼40日の間、仏さまやいのちのこと、人生について彼に語り続けた。遺族も毎週、彼に会いに来た。菩提寺での七七忌のために遺骨を引き取りに来た遺族の「いいお別れができました」の声を聞いたとき、照れ笑いする友の顔が浮かんだ。 (雅)