鬼面仏心
2020年3月20日号
■信仰の香風で包む
■信仰の香風で包む
お釈迦さまを栴檀に譬えた「栴檀香風 悦可衆心」という法華経の1節がある。栴檀の樹に風が吹くと、あたり一面に良い香りが広がり、人びとに悦びを与える。この栴檀のように、お釈迦さまの側にいるだけで心が清められ、優しくなり、勇気が湧いてくる。お釈迦さまとはそんな方だという。仏教とはそのお釈迦さまを目標にした宗教だ▼信仰というと、お仏壇へのお給仕やご先祖のご供養、お墓やお寺参りやお経を上手に読むことと思いがち。確かにそれも信仰だ。しかしそれは信仰の中の「形」の部分。大事なのは「形」の奥にある「心」であり、その「心」からにじみ出る「香風」だ▼日蓮聖人はお題目が「振る舞い」、つまり日常の言葉や表情や行いになって始めて本当の「唱題」になると説かれた。「形」の信仰を通して自分を「栴檀」に変える。だから「形」の信仰はゴールではなく信仰の入り口。入り口で終わっては「栴檀」にはならないし「香風」も吹かない▼「形」の信仰は大事だ。しかしもっと大事なのは、信仰を自分の血肉化し、人格化することだ。信仰によって謙虚になり、思いやりと温かさ、明るさや爽やかさに満ちた人柄となり、それが言葉や表情や行いという「振る舞い」となって人びとを優しく包む。「栴檀」の自分が家庭や社会や世界を「香風」で包む。そんな素敵な信仰をしてほしい。 (義)
2020年3月10日号
ご先祖さまは煙?
私が暮らす地域では、春の雪解けまでは、お寺の位牌堂にある各家毎の仏壇型位牌壇に参拝する▼昨年の春彼岸のことだった。玄関の戸をガラガラッ「こんにちは!」とA君。続いて、供物や供花を持ったお父さん・お母さん。「いつもお世話さまです」とお祖父ちゃん・お祖母ちゃん。本堂の仏さまを拝む大人たちをよそに、駆けっこやでんぐり返し、太鼓も叩く。叱られたってヘッチャラ。けど、奥の位牌堂に入ったら…。立ち並ぶ仏壇を見上げると、その上の小窓から斜めに差し込む幽かな光。たち込める線香の香が揺れて、思わずお母さんの腕にしがみついた。やがて、チーンと鈴を打ち鳴らしたお祖母ちゃんがゆっくりと唱え始めた南無妙法蓮華経。穏やかなお題目で、いつの間にか、気づけば、一緒に手を合わせていたA君▼「お上人さん。さっきね、煙がフワッて動いたよ。あれはご先祖さまかな?」「そうだね。A君のお参りが嬉しい、ありがとうって、ほっぺたをなでてくれたのかもね」「そうなの!?ぢゃ、僕、また、ご先祖さまに会いに来るよ!」と、今度は自分で鈴を鳴らし、ナムミョウホウレンゲキョウと唱えたA君。帰り際の本堂でも手を合わせると「お上人さん、またね!」と手を振り帰っていった▼今春のお彼岸には、透き通る声で少し大人びた南無妙法蓮華経が聞けることだろう。(花)
■煙はご先祖さま?
■煙はご先祖さま?
私が暮らす地域では、春の雪解けまでは、お寺の位牌堂にある各家毎の仏壇型位牌壇に参拝する▼昨年の春彼岸のことだった。玄関の戸をガラガラッ「こんにちは!」とA君。続いて、供物や供花を持ったお父さん・お母さん、「いつもお世話さまです」とお祖父ちゃん・お祖母ちゃん。本堂の仏さまを拝む大人たちをよそに、駆けっこやでんぐり返し、太鼓も叩く。叱られたってヘッチャラ。けど、奥の位牌堂に入ったら…。立ち並ぶ仏壇を見上げると、その上の小窓から斜めに差し込む幽かな光。たち込める線香の煙が揺れて、思わずお母さんの腕にしがみついた。やがて、チーンと鈴を打ち鳴らしたお祖母ちゃんがゆっくりと唱え始めた南無妙法蓮華経。穏やかなお題目で、いつの間にか、気づけば、一緒に手を合わせていたA君▼「お上人さん。さっきね、煙がフワッて動いたよ。あれはご先祖さまかな?」「そうだね。A君のお参りが嬉しい、ありがとうって、ほっぺたをなでてくれたのかもね」「そうなの じゃ、僕、また、ご先祖さまに会いに来るよ!」と、今度は自分で鈴を鳴らし、ナムミョウホウレンゲキョウと唱えたA君。帰り際の本堂でも手を合わせると「お上人さん、またね!」と手を振り帰っていった▼今春のお彼岸には、透き通る声で少し大人びた南無妙法蓮華経が聞けることだろう。 (花)