鬼面仏心
2021年12月20日号
■水のごとく…
1年経つのは全く早い。昨年の今頃は外出自粛の中、おウチ時間を有効にと部屋の片付け、その実は断捨離に励んでいた▼着古した洋服はもち論、新品同様のお気に入りのズボンも、胴回りが窮屈なものはこの先痩せて再びこれを着用することはないだろうと処分した。とにかく今をおいては決心が鈍るとばかりにどんどん捨てまくった。その結果、部屋はきれいに片付いた▼さらに今ひとつ、片付け以外にもおウチ時間の有効活用として運動の時間を組み入れた。境内の坂道を負荷を掛けて歩くなど、かなり真剣に取り組んだ。これもまた成果が出た。目に見えて胴回りが細くなったのである▼ところがズボンがどれもぶかぶかになった。あの捨てたズボンが今となっては残念でならない。ため息交じりに見渡すと、整頓された部屋はまた元通りの雑然とした空間に戻っているではないか。一時の気分に任せてあれこれと動き回っても、それを続けなければ元の木阿弥。このままでは、せっかくのダイエット効果も早晩消えてしまいかねない▼日蓮聖人は「火の如き信、水の如き信」と説かれる。信仰とは如何に盛んでも燃え尽きてお仕舞いではなく、退することなく続けることが大事だと説く。コロナ禍が収束するかに見える今、ダイエットも感染予防も、怠ることなく続けることが大切だと、自戒するこの頃である。 (直)
2021年12月10日号
■亡き人と生きる
今年、漫画家のさいとうたかをさんが亡くなった。有名な『ゴルゴ13』の作者だ。同作は漫画の単行本発行巻数が200を超え世界記録を樹立した。さいとうさんが亡くなっても連載は続けていくそうだ。作者が亡くなっても連載が続けられるのは不思議だ。昔、分業制を確立したので可能なのだという▼考えてみれば『サザエさん』や『ドラえもん』も作者はとうの昔に亡くなったのに、現在もテレビで放送している。ということは作者の精神は今も番組の中で生き続ける▼今、私たちが唱えているお題目も、元々はお釈迦さまの教えから始まり、鎌倉時代に日蓮聖人が弘められたものだ。お2人の教えが今も私たちの心の中で生きているのだ。日蓮聖人が700年以上前にお唱えになられたお題目を、今も多くの人が唱えているのはすごいことだ▼人間死んだら終わりだという人がいる。しかし、番組で作者が生き続けるように、生前お題目を唱えていた親・兄弟・知人と同じお題目を生きている私たちが唱えれば、私たちの心の中に亡くなった人が生きていることになるのではないか▼最近、終活という言葉をよく聞く。財産の相続などを決めておくそうだ。しかし、本当の終活とは、生きているうちにご先祖と同じお題目を唱え、立正安国を目指す心(志)の相続をして、さらに次へと繋いでいくことではないだろうか。 (友)
2021年12月1日号
■どういう人間に
最近ふと考える。自分はどういう人間になりたいのか、と。若い頃ならば、「あの職業に就きたい」などと夢を考えるとは思うが、「どういう人間に」とは自分でも意外だった▼以前、外国で地下鉄に乗ろうと駅入り口の扉に向かっていたら、先に入ろうとした女性が扉を開けてわざわざ待っていてくれた。待つ時間にしてだいたい5秒。特急に乗ったときには、女性車掌がスーツケースの整頓をしていたら、若い白人の男性が飛び出して車掌の手伝いを始めた。そういう人間になろうと思った▼現在、新幹線や飛行機に乗るときには周りの様子を見る。スーツケースを棚にあげるのに大変そうな人がいないか。いたら、離れていても手伝う。エレベーターでも出る人、入る人が終わるまで扉を押さえる、など、単純でもできることをする▼ほか混雑する駅などで横から割り込んでくる人に対しても「お先にどうぞ」という気持ちを持つようにしている。怒っている時間があるならば、もっと大切なことを考える時間にあてた方が幸せだと考え直すからだ▼功徳を積みたいわけではない。いろんな人に教えられたように、誰かに伝わってほしいとは思う。世の中本当に他人に教わることばかりだ。ただ残念ながら小さな画面に集中していると、たくさんのことを見逃す。大人になったあなた。どういう人間になりたいですか? (緑)