鬼面仏心
2020年5月20日号
慈(父性)と悲(母性)
昔、怖いものの代表は「地震・雷・火事・親父」だった。現代は「交通事故・地震・火事・感染症・ガン・雷・病気・核」だという。交通事故や感染症やガン・核が加わったことに時代性を感じる。今なら新型ウィルスも入るのでは▼ところで地震・雷・火事が健在なのに親父はというと、なんとランク外に転落。替わりに「妻」が17位、特に30代男性では6位だという。「優しいパパ」に「怖いママ」という現代の家族像が分かる▼ところで仏教では、抱きしめる優しい愛を悲=母性といい、突き放す厳しい愛を慈=父性と呼ぶ。子どもは慈と悲の2つの愛に包まれて、優しく逞しく育つという。父性や母性とは単なる父親や母親のことではない。2つの違った愛情のことだ。そういえば最近の男児に逞しさや進取の気が少なくなってきたのは、怖いものが妻や母に移り、家庭の父性が希薄になってきたからか▼父性の欠如は家庭や教育界だけでなく、社会全体に見られる現象だ。「優しさ」という名の「甘え」をベースに「自己中」が蔓延し、父性が嫌われる母性社会。それが現代日本だ▼この世は縁で結ばれ、人は支え合って生きている。私たちが願う「常寂光の世界」とは、この縁の世を、優しさと厳しさの「慈悲」という血液で結ぶ世界なのでは。家庭や社会の、そして何よりも私たち自身の父性を取り戻さなくては、と思う(義)
2020年5月10日号
◆心の垢
外出を控え、ほとんどの時間を家で過ごしているにもかかわらず、足袋底がすぐ汚れる。もしかして、畳や廊下が汚れているのかも? 固く絞った雑巾で拭き掃除をしてみたら、やはりひどい汚れ。何かがこぼれているわけでもなく、目立った汚れなどもないのだけれど、微細な埃は静かに積もっていた▼そういえば、子どもの頃は毎朝、長い箒で掃除をし、畳拭きも頑張っていたっけ。「掃除を通して自分をよく見つめることが、心の塵垢の掃除になる。大切な修行だよ」と教えてくれた父。慢心やワガママな欲望は、積み重なると心の垢となって、見えるはずの真実を見えなくしてしまう▼お釈迦さまは、物事をありのままに正しく見ること、そして、偏らない正しい考え方が大事であるとおっしゃったが、心コロコロというように、私たちの心は移ろいやすく、どうしても自分本位になりがちだ。ましてや、たくさんの情報や刺激があふれる世の中で、自分の都合や感情・欲望に依らないものの見方や考え方で正しく行動することは、とても難しい。けれども、一人ひとりがその努力を諦めてはならないと思う▼畳の塵や埃にも気づけないほど、いつのまにか私の眼を曇らせていた心の垢。日々、掃除してもまた埃が積もるように、心の垢も常に掃除が大切。それができるのは自分自身だけ。いつもキレイな心、澄んだ眼で、明るい日々を送りたいと思う。(花)
2020年5月1日号
ハグより合掌
台風被害の時、電気や水道などが止まり、日常生活に破綻を来したことがある。精神的にも肉体的にも辛いものだった。今回のコロナ禍では、ライフラインは正常であるが、精神的圧迫を受ける毎日となった。目に見えないウイルスが相手である。その影響で、春彼岸会が中止や無参列になったお寺も多いと聞く。宗教者は祈ることしかできないのか?▼日蓮聖人は天変地異、飢饉疫病などのひろがりを、信仰のあり方と深く関わらせながら解釈している。しかし、現代においてはどうなのか? 苦悶している時、ヒントをくれた人がいた。102歳の檀家さんだ▼「来年まで命があるかどうかわからん。ご先祖さまの供養だけはさせてくれまいか」。彼女の彼岸会参列を必死で断った。法要後、付け届けをしてくれた人には直接に、そうでない人には郵送したものがある。かつてインフルエンザを「流感(流行性感冒)と呼ばれた時の御札「感冒除守」を表に、裏にマスクを添えて「精神世界の感冒除守と、現実世界のマスクで、表裏一体となってお寺は皆さまの安穏を祈ります」とメッセージ付きで配った▼102歳のお宅に持参すると「お寺さんは祈ってくれたらそれで良い。形があって、もっと良い」と拝んでくれた。「コロナの時はハグより合掌だよ。直接触れずとも、心でつながればね」と拝み返した。(雅)