鬼面仏心
2022年4月20日号
■失せもの
「一瞬顔が青くなるのが分かりましたよ」。N氏が述懐する。銀行印がない。通帳はあるし盗難ではないと信じたい。でもどんな魔の手が襲ってくるか。そう思うと何も手につかなかったという▼モノに取り憑かれたような日々が続いた。時間ができれば探索に当てる。思いつく限りの場所を探す。ついには、家の誰かが持ち出したのではないかと疑心が沸き起こってきた。口にしなくてもこうなると、家中がギスギスし殺伐となっていった▼もはや銀行印だけの問題ではない、核家族の分裂か。この上は仏天のご加護を祈るほかなかったという。そしてまもなく印鑑は思いもよらぬ場所から出てきた。半月前に家を空ける時、念のためにと、しまい込んだことを思いだしたのだ▼「家庭を崩壊させてはならない。祈るうちに全てを仏さまに委ねようという思いが胸に湧いてきました」。鬱々とした気分が晴れて穏やかな気持ちに変わっていったという。N氏は印鑑という物だけではなく心までもを失うところであった▼「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」。日蓮聖人のご遺訓だ。焦りと苛立ち、そして不安が心の中に充満すると、理性と平常心、そして他への信頼までもが失われてしまう。人類の滅亡に直結する最近の世界情勢をみるに、世界中の誰もが失われた心を早く取り戻すことを祈るばかりだ。 (直)

2022年4月10日号
■明日はきっと
桜の草木染めは桜の花が咲く前の枝から作られるそうだ。てっきり桜の花びらから、あの淡いピンク色が作られると思っていたので、意外だった。しかし桜の花を咲かせるために夏・秋・冬と一生懸命に準備してきた枝から色を作るとは素晴らしい。人も同じではないだろうか。今が不遇であったとしても、準備している時期だと思えば困難にも耐えられるはずだ▼1月に高校2年生の男子が東大正門前で3人を切りつけるという事件が起きた。彼は高2になって成績が落ちたのを苦にし、誰かを殺して自殺するつもりだったという。今は準備期間で、いつかジャンプできる時が来ると自分を信じて欲しかった▼コロナ禍で多くの人が閉塞感を持ってしまったことが背景にあるのかもしれない。「今に見ていろ俺だって」というCMが昔あった。今が将来に希望を持ちづらい時代であるのなら悲しいが、どうにか打破していかなければならない▼日蓮聖人は大難四ヵ度、小難数知れずという困難だらけの中でも、決して諦めずに法華経を弘め続けてきた。「法華経を信ずる人は冬の如し、冬は必ず春となる」と仰られ、法華経を信仰する人は将来必ず救われると苦しむ人びとを勇気づけられた。こんな時代だからこそ、私たちお題目を唱える者は、聖人がされたように今日を嘆く人に明日の希望を語り続けていかなくてはならない。(友)

2022年4月1日号
■日常の1秒さえ
春の選抜高校野球大会で倉敷工(岡山)の福島貫太主将が選手宣誓をした。当たり前だった日常が失われるなか、それでも少しずつ前に進み、多くの人に支えられて甲子園という夢の舞台に立てた喜びを言葉にした。そこには3度の感謝が繰り返され、象徴的な宣誓となった。戦争、自然災害、コロナ。幾多の困難と悲しみを目にし、普通の日常がありがたいことを私たちは知った▼東日本大震災から11年が経ち、海岸には巨大な防潮堤が築かれた。更地のままの土地がまだまだ残るが、町には人びとの営みが戻りつつある。しかし11年が経っても犠牲となった人たちへの悲しみが消えることはない。たくさんの人の命日であり、それぞれに人生物語があった。想像を絶する恐怖と悲しみを経験し、癒えることのない寂しさと後悔。決して他人事ではない▼世界中で困難に遭い、辛い思いをしている人たちがいる。が、再び立ち上がり、命をつないできたのも人間だ。私たちは、惨劇から目をそらさず、忘れず、未来へ教訓としてつなぎ、これからを生きる子どもたちが、幸せな未来を思い描き、夢を実現できる世の中にする使命がある。当たり前の日常を持続させることが、平和な未来を作っていく▼福島選手は力強く誓う。「夢や志を持ち続け、1日、1分、1秒を大切に歩む」と。それが生きるということであり、共生ともなる。 (福)
