鬼面仏心
2019年11月20日号
◆「よかりけり」に
信仰には「信行」と「徳行」の2つの面がある。「信行」とは礼拝・読誦・唱題・回向・祈願・供養といった宗教的行いだ。一方「徳行」とは五戒・四攝法・六波羅蜜といった人としての道徳的行いのこと。この2つがそろって初めて法華経信仰といえる▼四条金吾さんは日蓮聖人が愛された篤信の人。「腹悪しき人」といわれる四条さんは、短気で直情径行な鎌倉武士。龍の口の法難の時、聖人の首が落ちたら切腹して霊山浄土までお供をしようとされた熱烈な信仰者。聖人に「貴方が地獄に落ちるなら、私も一緒に地獄に行きましょう」といわせたほどの人。その四条さんに「主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心根もよかりけりよかりけりと鎌倉の人びとの口にうたわれたまえ」と指導をされたのだ▼日蓮聖人というと、主(仕事)とか世間的なことより仏法第一の人と思われがち。しかしその聖人が信仰者の手本のような四条さんに、信行だけでなく、主人に仕える武士としても、また一人間としても「よかりけりよかりけり」と言われるように生きろと説かれたのだ▼日蓮宗の檀信徒は四条さん的な、信行熱心な人が多い。それだけに聖人が指摘した「世間の心根」という、他者への思いやりの行動が大切。信行面だけでなく、人間としても「よかりけり」といわれる、そんな「徳行」を大事にする信仰をしてほしい。(義)
◆思い込み
カナリヤが水を飲んでいるのを見た幼子が「トリさんうがいしてるよ、風邪早く治るといいね」と言ったとか。口の周りの筋肉が弱いトリは上を向いて水を流し込む。カナリヤを見てうがいと勘違いしたとはいえ、この子の心の優しさには打たれるものがある▼上を向くと言えば、鶏は上を向いて口を大きくあけコケコッコーと時を告げる。江戸小咄に退屈をもてあました年寄りの話がある。退屈で大きな欠伸をしていたが、鶏が時を告げているのが目に入った。歳のせいで鳴き声が聞こえない年寄りは「鶏も退屈なんじゃろなあ。欠伸しとる」とつぶやいたとか▼ともすれば私たちは周りの物事を自分の尺度で測りがちだ。トリの行動をとり違えるくらいなら他に影響を及ぼすほどでもない。しかしこれが一国を動かす人物、あるいは自治体や会社など組織の運営に関わる人たちとなると笑い話ではすまない。組織を船にたとえるならば、狭量な視野に立ち、その場のウケや思いつきで舵取りされては取り返しがつかない事態となるかもしれないのである▼様々な組織の舵取り役に就いている人にはしっかり自覚してもらいたい。と同時に、その船に乗っている私たちも適正に船が進んでいるかを確認する役目があることを心せねばならない。そして何より忘れてならないのは、わが日蓮宗も組織の1つであるということだ。(直)
2019年11月10日号
「奇跡のリンゴ」
あまたの病害虫と戦うリンゴ栽培で、絶対不可能と言われてきた自然栽培。だが、木村秋則さんは農薬どころか有機肥料も一切使わない▼家族の健康被害から無農薬に舵を切ったというが、無残にも木は病害虫に負け枯れてゆき、何年も無収穫(無収入)。周囲からの誹謗中傷。万策尽き、死んでお詫びをと山に分け入った。しかし、そこにこそ答えがあった。朽ちた落ち葉や枯れ枝を微生物が分解して土を作る自然界。小さな命それぞれが密に活動していた。本来、無意味な命、邪魔な命などなく、あらゆる命は互いに生かされて生きている▼木村さんは畑の下草刈りをやめた。すると、土中が適温になり、バクテリアや草根に菌類が集って養分を蓄えた。木はそこに根を巡らせ元気になってゆき、虫喰い葉・病葉もリンゴ自身が落として防御。葉ダニがいても、それを食べるダニもいて、更にそれを食べる虫、虫を食べるカエル、イタチやウサギも…。自然の絶妙なバランスが築かれるまで試行錯誤の11年。無数の命が調和して実らすリンゴは腐らなかった▼木村さんは言う「人間も一生物に過ぎません。木も動物も花も虫たちも皆兄弟です。互いに生き物として自然の中で共生している。人間はもっと謙虚であるべきだと思います」▼今年も真っ赤なリンゴをいただいた。仏さまにお供えせずにはいられない、心から手を合わせた。(花)