鬼面仏心
2016年2月10日号
お正月に和服を着た。気持ちも姿勢も違ってくる。
お正月に和服を着た。気持ちも姿勢も違ってくる。言い方も落ち着いたものになったような気がする▼テレビで美輪明宏さんが司会者の挨拶に「ごきゲんよう」と挨拶を返した。すかさず司会者は「『ゲ』は鼻濁音なんですか?」と聞いた。「言葉の2字目以下の時は鼻にかかる鼻濁音ですよ」と美輪さんが教えていた。とするとお題目の「華」も「ゲ」と鼻にかけて鼻濁音で唱えることになる、と納得▼以前、言語学者の伊藤雅光大谷大学教授が平安時代の発音について説明してくれた。その時、耳にした平安時代の言葉はイントネーションもアクセントも、勿論言葉もいまとは違い、外国語を聞いているようだった▼言葉は生きているもの、変化していくものという。が、気持ちのいい言い回し、約束ごとは変わらない。「<RUBY CHAR=”裏”,”うら”><RUBY CHAR=”表”,”おもて”>」はなぜ「<RUBY CHAR=”表”,”おもて”><RUBY CHAR=”裏”,”うら”>」と言わないのか。「<RUBY CHAR=”西”,”にし”><RUBY CHAR=”東”,”ひがし”>」「<RUBY CHAR=”東”,”ひがし”><RUBY CHAR=”西”,”にし”>」もそう。一説に「うら」は音が2つ「おもて」は音が3つでできており、少ない音の言葉が先に来たほうが日本人は言いやすいのだという。「<RUBY CHAR=”言”,”こと”><RUBY CHAR=”霊”,”だま”>」とは言葉には霊があり、その働きによってそのまま実現させるという。そこに言葉は気持ちの籠ったものとなる▼最近「ガンダで行け」(ガンガンダッシュで行く)という略語を知った。気持ちの通じ会いが薄いから略語がはやるのか。それらはやがて死語となるだろう。お互いに気持ちの通じ合う、心の籠った生きた言葉を伝えたいものだ。(汲)
2016年2月1日号
東南アジアでもイスラム化の勢いが止まらない。
東南アジアでもイスラム化の勢いが止まらない。タイでは既に6㌫がイスラム教徒になっている。6㌫と言えば日本のキリスト教徒の割合より多い。その多くは貧しい生活を強いられている人々だ。数が益々増えつつあるのは、貧困格差が拡大しているからだ。イスラム教徒になることで得られる支援を期待する人たちが増えているのだ▼英国にある国際支援団体オックスファムが発表したデータに驚いた。世界人口の、経済的に恵まれない下位半分(約36億人)の資産総額と同額の資産を、世界の富豪上位62人が占めているという。5年前は388人だったそうで、格差は毎年拡がっているそうだ▼最近は国内でも問題視されるようになった格差社会の弊害は、主に子どもに重くのしかかっている。先般、寺に来られた若い女性は中学校の教員を2年で退職されたそうだ。クラスの1割近い生徒が給食費を払えず、登校を諦めているという現実に何も出来ないご自身を責めた結果だという。そういう優しい方にこそ現場で子どもたちを見守って欲しいものだ▼身体を養う毎日の食事と同じように、心を養う先祖供養は大事だが、いずれも人生の一部ですべてではない。栄養をたっぷり蓄えた心と身体で未来を見据えた生活をしたい。その未来を造る子どもたちを守る実践こそが仏教だと思えてならない。それが出来ればご先祖さまもさぞお喜びだろう。それはまた仏教を守る事にもなる。(寮)