鬼面仏心
2013年1月20日号
脱水症といえば夏の病気と
脱水症といえば夏の病気と思っていたが、冬にこそ気をつけなければならない「隠れ脱水症」というのがあると聞いた。室内外の乾燥などが要因となって、気づかぬうちに脱水症状が進むという。悪くすると血管が詰まり、脳梗塞や心筋梗塞を引き起こすというからあなどれない。水の大切さは重々知るところだが、水分不足が一つ間違えると命に直結するということを、改めて思い知らされた▼日蓮聖人は“水”について、様々な譬喩をもって多くのご遺文に書きのこされている。その一つに、「女人は水のごとし、うつは物にしたがう」との一節がある。「女性は水のようなもので、器物の形にしたがって形を変える。だから女性は夫が盗人だと、その協力者として盗人扱いされる。夫が王ならば、女性は后となる。夫が善人ならば、女性は仏になる」との御教えで、女性の生きる道を水の柔軟性に例えられ、夫婦の道と成仏の教えが説き示されている▼しかし私の妻は、私の思う器にはなかなか納まらず、とても仏には見えない。それは私が悪人だからだろうか…? 脱水症ではないが、身近なものの大切さを実感するのは、それを失いそうになるときだ。「情けない」とお祖師さまに嘆かれそうだが、今の時代は妻の柔軟性を待つより、夫が水のように柔軟になることが、夫婦円満の秘訣ということだろうか。いやそうではない、なぜならば真理は普遍だから(奏)
2013年1月10日号
調子の悪い父を連れて病院へ
調子の悪い父を連れて病院へ。診察室に入ると「どうされました?」と先生。私が症状を話し出すと、パソコン画面のカルテにひたすら打ち込んでいく。こちらを見る暇などない様子。レントゲンなどの検査結果もデータで送られ、先生は終始パソコンの画面とにらめっこだ。程なくすると「はい、お薬だしておきますね」なんと、患者に指一本触れることなく診察は終了▼驚くべきことにこういう医師が増えているという。検査技術が発達し、患者に触れることなく診断ができる時代になったとはいえ、一抹の寂しさが残る。これではロボットに診察してもらっているのと同じだ。患者としては、先生が体に触れ、目を見て話を聞いてくれるだけで気持ちが軽くなる。気持ちが軽くなれば回復も早い▼科学の進歩で心がどこかに取り残されてしまった現代。お寺も人々の心に寄り添うことができているか反省しなければならない。上手にお経が読めればいいならCDを流せばいいし、綺麗なお塔婆なら機械にだって書ける。良い悪いではなく、そこにどれだけ気持ちを込められるか。そこに心がなくなってしまってはお寺の機能は無になる▼娘がシモヤケを作って帰ってきた。薬を塗ってみたが、まだ痛いと泣いている。そこで奥の手。赤くなった手をさすり、「痛いの痛いのとんでけ~」するとさっきの痛みはどこへやら。人のぬくもり、心のぬくもりは一番の特効薬だ。(蛙)
2013年1月1日号
政治が動いた。新しい政権は
政治が動いた。新しい政権は宗教団体と、どう関わっていくのだろう▼日本国憲法は第20条・89条で、宗教団体が国から特別な利益や地位を受けることを禁じている。戦前の国家神道による思想統制の反省に立った「政教分離」の規定である▼公立の小学校の校長から「生徒に話をしてみませんか?」と誘いを受けた。「宗教者が教育現場で話をしても良いのですか?」と政教分離を心配して問い返すと「宗派の宣伝は困るが、宗教者としての立場で僧侶の姿で話をして欲しい。テーマは『いのち』です」と有り難い話である。今までに医療関係者や救命士等、いのちの現場で働く人々を講師に呼んでいるという。その中に宗教者を選んでくれた校長の見識の高さと勇気を尊敬した▼教育や福祉の現場で宗教を過剰に遠ざけることで人間の心、精神面に空白が生じているのではと島薗進東大教授は指摘する。地域で暮らす人々の支えとして宗教があるのなら、政教分離の原則をしゃくし定規に当てはめていいのかというのだ▼東日本大震災の国の復興計画の中で、寺や神社の再建支援をどうするのか、論争になっている。宗教界は、寺社が地域を支えた歴史的・文化的な基盤を担ったとして一般的な支援を要請している。ところが国はそれさえ政教分離の建前拒否している。だからこそ、地域で支持され、心の拠り所となる寺でなければ生き残れない時代がきているのだ。(雅)