鬼面仏心
2021年7月20日号
■良くも悪くも
毎年津軽で行われる「ねぶた」祭りが今年も中止になった。「ねぶた」に限らず全国のいろんなお祭りや行事が中止に。コロナのせいだ。お祭りなど不要不急といえば確かにそうだ。しかしお祭りという宗教的行為を行うのは人間だけ。それができないと何か虚しく淋しいと感じるのは人間だから。コロナは良くも悪くも人間や宗教の在り方を変えた▼コロナ禍以来、「家族葬」という少人数の葬儀が多くなった。一般の弔問客は受付で焼香をして帰り、近親遺族だけで法要を行うという形態だ。コロナ前は数え切れないほどの花輪。高価できらびやかな祭壇。広い会場にあふれる弔問客。そしてたくさんのお坊さんの出仕。まるで結婚式かと思うような派手さ。それが立派なお葬式、といわれてきた。そんなお葬式の在り方をコロナは変えた▼先日103歳で亡くなったSさんの葬儀。彼女に縁のある親族だけのお葬式。大正に生まれ、昭和・平成・令和の4つの時代を生きたSさん。最初の夫は1人子を残して戦死。戦後その子を実家に預けて再婚した相手には3男3女6人の子が。小さな食堂を夫婦で経営。2人に授かった子の成長を生きがいに、修羅の人生を和顔・愛語で生きた菩薩のような彼女▼お義理の弔問者がいないからできる、心の籠もったお葬式だった。困ったコロナだが、お葬式を本来の在り方に変えさせた気がする。(義)
2021年7月1日号
■わが草物語
境内の雑草が伸び、奉仕の檀信徒と草取りをした。根を張った雑草は片手で抜くことができない。両手で抜いた拍子に尻餅をついた檀徒を引き起こした時、「まぁ根と根が絡まって、種も落ちとるから来年も生えてきますばい」と一言あった▼「草魂」という言葉を思い出した。プロ野球元近鉄の300勝投手の鈴木啓示さんを講師で呼んだ時の講題である。雑草魂の根性論が前半の話であり、後半はエリート球団に立ち向かう雑草同士の助け合い、そして良き種を残していくという共同論的な講演だった▼コロナ禍のワクチン申し込みの際、インターネットと電話格差が話題になった。若い世代が高齢者のスマホを操作し、予約をしている姿が報道された。自分が親世代に尽くしたからといって「昔から助け合いでしょ。若い人にお願いするしかないわね」だけで良いのだろうか?▼今の子は先祖を知らない。夢を抱くこと、自分の知ること。若い人に伝え教えることはたくさんある。嫌われても大人の振る舞いとして縦のコミュニケーションをしなければならないのだ。遺伝子は両親から半分、祖父母から四半分、曾祖父母から八半分を受け継ぐ。「性格や顔や体型、体の強弱など、先祖の遺伝子が君にある」と先祖のエピソードを添えて後の世代に伝えなければならない。来年の今頃は、老若とともに草取りをしたいと思った。「草々の呼びかはしつつ枯れていく(相生垣瓜人)」(雅)