鬼面仏心
2020年12月20日号
◆しらなきゃ損
物置の片付けをしていたとき、汚い鍋敷きが出てきた。寺には何代もの間使われてきた什器がある。その1つだが、カビと埃にまみれたこの品はいかにもひどい。迷わずゴミ袋に放り込んだ▼その翌日たまたまアンティークショップの前を通りがかり、何気なく中の棚に目をやると驚いたことに昨日ゴミ袋に突っ込んだのとよく似た鍋敷きがあるではないか。こんなものでも買う人がいるのかと店の人に聞くと、鍋敷きではない、これは籐製の急須敷だという。値段を聞いて更に驚いた。大変凝った編み方なので、今では結構のお値打ち品ですとのこと▼その場から早々に戻って、すぐゴミ袋をひっくり返した。あった! すぐさま磨きをかけ、オリーブ油を薄く引くなど、手を加えると見違えるようになった。店にあったのより更に凝った編み方だと判る▼今では客間の茶道具棚に納まっている。もしあの店で気付かなければ、こんな素晴らしいものだったなんて知らないまま捨てていたことだろう▼私たちは誰しも仏から戴いた宝の珠を持っていると、法華経に説かれている。それに気付かない、あるいは気付いても磨こうとしない者には値打ちが判らないのだという▼さて、私たちが戴いた宝の珠とは何だろうか。先ずはしっかりと値打ちの判る人になること、そして磨き上げる努力を惜しまないことが肝要である。(直)
2020年12月10日号
◆リピーター
今年も余すところ3週間となった。この時期にわれわれ凡夫の頭によぎるのは「去年の今頃は…」という回顧だ。それに続く定番のセリフは「1年たつのは早いね」となる。全国各地でこんな会話が飛び交っているのではないだろうか▼自分自身の昨年の今頃を振り返ってみた。令和2年が日蓮聖人の佐渡配流750年の節目にあたることから、佐渡への団体参拝を促すことを目的とした文章を書いていた。執筆に先だっては人生初の佐渡渡航。佐渡では僧侶だけでなく観光協会の人などにも島の魅力について語ってもらった。その中で特に印象に残っていることがある。佐渡には2度、3度と繰り返し訪れる旅人が多いということだ▼何事においても、リピーターが多いというのは、本物であり、魅力的であることの証明といえるだろう。布教もしかりだ。再びお寺に足を運んでもらってはじめて成功したといえる。お説教ならば「いい話だった」といわれるだけでなく、聞いた人に「またあのお坊さんの話を聞いてみたい」と思ってもらってなんぼだろう▼ひるがえって、1年前に書いた佐渡の文章は、読者に読み返してもらえるようなできだっただろうか。その結果を省みようとしなかったのではないか。1年を振り返る時期にそんなことを考えている。さてさて来年の今頃、今日のことを私はどう思い出すのだろうか。(十)