鬼面仏心
2024年7月20日号
■温故知新
「頼光さんの大江山の鬼退治」というお話をご存知だろうか。かつて明治から昭和初期にかけて、国語の教科書にも掲載された有名なお話だ。子ども向けの絵本もあったし、童謡にも歌われていた。主人公の源頼光という武将は実在の人で、多田源氏の祖・満仲の長男である。大江山から夜な夜な都に出てきては荒らし回る酒呑童子という鬼を見事討ち取ったのが頼光さんだ▼しかし英雄源頼光の名も、その武勇伝も今や知る人は少ない。ただ、主人頼光は知らなくても、その家来の坂田金時は金太郎さんとして今も親しまれ語り継がれている。頼光さんは苦笑いしているかもしれない。このような過去の言い伝え、あるいは歴史を動かす重大な出来事でも、継承されず一度途切れてしまうと容易には修復できない▼ところが過去の出来事の記録を削除している国があると聞く。政権を握る人にとって都合の悪いことはなかったことにしようとする思惑が見える。もし事実ならとんでもないことだ▼都合の悪いことや失敗などの嫌なことも、過去を知ることによって同じ過ちを繰り返すことなく、より良い未来に向かって方向を定めることができる。歴史の継承とは未来という宝物を磨き上げることである。逆に過去を抹消するとは、光り輝く未来を否定する行為というほかない。憂えているのは頼光さんだけではあるまい。(直)
2024年7月1日号
■雨に思う
雨にまつわる話をいくつか。NHKのこども電話相談室で「なぜ、雨だと天気が悪いというのか」という質問があった。子どもの素朴な疑問に気象予報士は「自分に都合が良いかどうかで人は天気が良いとか悪いとかいうんだ」と答えていた。確かに「天気で都合が良い」「天気で都合が悪い」と考えれば納得。雨の日は外を出歩く人にとっては都合が悪く、水不足の地域には都合が良い▼昔インドでは修行僧は乾季に托鉢をし、雨季には雨安居といって1ヵ所に集まり、勉強した。日本にも晴耕雨読という言葉があり、かつては晴れの日は外で労働、雨の日は部屋で読書という生活スタイルが普通だった▼最近カーボンニュートラルという言葉をよく聞く。地球温暖化・異常気象への対策として、脱炭素を目指す取り組みだ。太陽光発電への切り替えが有効だが、天気に左右されやすく安定供給に問題がある。雨の日は働かず晴れの日は働くというのはさきほどの古来の生活様式と重なり興味深い▼近年顕著となった豪雨災害は、科学の万能を信じ、経済発展と大開発の時代のひずみから生まれてきた。お釈迦さまは、すべてのものが良き縁でつながりあってバランスが保たれると説かれる。21世紀はそんな時代にしなければならない。「やまない雨はない」と待つか? 否、今からでも環境負荷を止めよう。(友)