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2013年12月1日号
大阪日蓮宗青年会結成50周年記念大会
【大阪市】大阪日蓮宗青年会(以下大阪日青会と表記)(船場光隆会長)は平成二十五年十二月一日、結成五十周年記念大会「GO!GO!フェスタ~輝けみんなの未来~」を、日蓮宗大阪市宗務所後援、近畿ブロック日蓮宗青年会協力のもと、グランキューブ大阪(大阪国際会議場)メインホールにて開催した。
午後一時、船場会長の開会宣言により大会は幕を上げた。開会式には、本山本満寺貫首・伊丹日章師(大阪日青会初代会長)、本山妙國寺貫首・岡部日聡師をはじめ、管内外の要職が列席し花を添えた。来賓を代表し、正蓮寺御高主・奥邨日鳳日蓮宗宗務顧問(大阪日青会第六・七代会長)より祝辞が述べられた。
その後大会は三部構成で進行され、第一部は『あなたはこのままでいいんかい(委員会)?』と題し、テレビ・雑誌等でお馴染みの評論家・宮崎哲弥氏と、小泉輝泰全国日蓮宗青年会会長との対談形式の講演が行われた。日常や社会における問題点である、欲望の中から起こる苦しみについて、仏教の観点よりわかり易く話し合われ、来場者たちは熱心に二人の対談に耳を傾けた。
第二部は一転、ミニ吉本新喜劇が上演された。劇中、近畿ブロック日蓮宗青年会各会長が出演。新喜劇劇団員との掛け合いに会場は笑いの渦に包まれた。終劇後にはプレゼント抽選会も催され、内場勝則座長らより当選者たちへ景品が手渡されるなど、〝ミニ〟とは思えないほど趣向が凝らされ、大盛況のうちに第二部は終了した。
小休止を挿み第三部において、記念大会を締めくくる『結成五十周年記念大法要』が、船場会長を大導師に、大阪日青会会員並びに有縁各師出仕のもと厳修された。大阪市管区信徒青年会による纏が賑々しく奉納され、管内沙弥による灑水散華により舞台上が荘厳され式衆昇堂。道場偈・読経(自我偈)・咒讃(鐃?)・祖訓(『立正安国論』)と法要は進み、続く唱題中には、大阪市管区信徒青年会会員、夏の少年少女修養道場参加者、管内檀信徒の子供たちが入場、献花(散華)が行われた。更に、第二部の間会場周辺で唱題行脚を行っていた近畿ブロック日蓮宗青年会会員も加わり、場内一体となってお題目をお唱えした。唱題後、大導師により慶讃文が奉唱された。大阪日青会の歴史を振り返り、歴代各師の功績に思いを馳せると共に、「仏祖の誓願は我らの使命と心得、立正安国の大旆をかかげ、僧俗一体となってお題目総弘通に邁進せんこと」を大曼荼羅ご本尊に向かい力強く誓った。慶讃文奉唱後、四弘誓願・奉送を終え、最後に般谷真亮副会長より謝辞が述べられ、記念大会は華やか且つ厳粛の裡に幕を閉じた。
来場者数は約二000人。会場には若年層や未信徒も多く足を運んでいた。晴天にも恵まれ、これからの大阪日蓮宗青年会の輝かしい未来が予感される大会であった。
「倍返し」の連鎖
ことしの流行語を見てみると、テレビドラマ『あまちゃん』から「じぇじぇじぇ」、『半沢直樹』から「倍返しだ!」などがあげられる。またドラマではないが塾講師の「今でしょ!」や、五輪招致でのスピーチから「おもてなし」なども話題になった。
いずれも、すぐにその情景が思い出されるフレーズであり、「じぇじぇじぇ」「今でしょ!」「おもてなし」などは、明るさや優しさの情緒を伴って伝わってくる。しかし「倍返し」だけは、他とは異なる響きを感じてしまうのである。
この「半沢直樹」の視聴率は回を追うごとに上がり、最終回の平均視聴率が42㌫(関東地区)という大ヒットドラマとなった。このドラマは、不正に立ち向かう熱血漢の主人公がいくつもの苦難を乗り越え、見る者をはらはらさせながらも最後には相手をねじ伏せるという、まさに勧善懲悪の展開劇に人々は共感し、カタルシス(心の浄化)を得たのである。
この話には理不尽な上司に対する怨み、憎しみ、復讐などを根底に据え、見る者の日頃のうっぷんをともに晴らしてくれるという心地良さがある。そして毎回、主人公の口から「やられたらやり返す。倍返しだ!」という力強い決め台詞が飛び出すのである。しかしこの「倍返し」の深層にある怨み、憎しみ、復讐は、誰の心にも生じる感情ではあるが、この怨みや憎しみの心を持って日々を生きていくことが、はたして好ましい生き方と言えるだろうか。むしろその姿は、悲哀に満ちた生き方のように感じられるのである。
元国際司法裁判所判事を務めたスロバキア生まれのトーマス・バーゲンソール氏は、少年期に家族と共にアウシュヴィッツの強制収容所に移送され、親を殺された体験を語っている。
「収容所を出た時の私の心は憎悪でいっぱいでした。12歳の頃です。家のバルコニーに機関銃を据えて、道を歩くドイツ人たちに向かって復讐したいと思っていましたから。それが消えるのにはずいぶん時間がかかりました。年齢を重ねることでわかってきたことがあります。それは、憎悪がある限り戦争は起き、戦争が起きれば相手を殺すことになり、また憎悪が生まれる。それはどうしてもやめさせなければならない」(平成25年9月19日付朝日新聞)
これは「憎悪の連鎖」の指摘であるが、まさに『半沢直樹』と同じ構図である。
この憎悪の連鎖が「倍返し」という流行語となり、軽いユーモアを持ったことばとして、またそれが笑顔を伴って使われていることに危惧の念を抱くのである。
あるNPО法人の調査では、おとなから「やられたらやり返して良い」と教わった子どもは、そうでない子どもに比べて、いじめの被害や加害を経験しやすいと報告している。今、子どもたちの間で流行っている「倍返し」は、「やられたらやり返す」ということを積極的に肯定し、結果としていじめ問題を助長することにはならないだろうか。
流行語のなかには好ましくないことばも多いが、私たちおとなであればそれを冷静に受け止めることはできよう。しかし発達途上の子どもたちは、その直接的な影響を受けやすいことは言うまでもない。
ブッダ(仏様)の教えには、「怨みは怨みによって止むことはない。怨みを捨ててこそ、怨みは止むのである」とある。
子どもたちに、このブッダの教えを伝えていくのは私たちおとなの大切な役目である。
(編集委員・渡部公容)

本末究竟等と言うから順番はないのだろう
本末究竟等と言うから順番はないのだろうけれど十如是の最初は「相」八正道は「正見」五蘊も「色」から始まる。そうか、見て知ることが全ての始まりなのに違いない。見る、知る量が多いほど、その後の生き方に幅と奥行きも出るというわけだ▼情報伝達の方法が増えた現代ではいろいろなことを知る機会も多い。思慮深く生きられるようになり、善悪の基準もかなり高いところにあって、それぞれが意義深い人生を楽しんでいるはず▼それにしては、非常識な人間が多いと思いませんか。誰だって最終的には自分の基準で行動しているけれど、それは社会のルールに則った上での話。それがわからないというのは、情報収集能力に問題があった。世の中をよく見ていないということだろう▼特に若い時の過ごし方に問題があるのではと常々思う。「十五にして学に志し、四十にして惑わず、六十にして耳順う」は論語だが、「学」は机上の勉強だけではないぞと若者たちに言いたい。情報収集も「学」の内▼若いときには鋭い感覚で情報をかき集め、その中から本当に大切なものを選択し、その部分について研鑽を重ねて晩年は人生を落ちついて過ごすという生き方をしたいと願っていたが、六十を過ぎてなお情報収集に余念がない。時間配分を間違えたか。今生は時間が足りなくなったが、つまらない生き方をするより良いかと納得。 (寮)




















