鬼面仏心
2021年9月10日号
■花を咲かす心
牡丹や紫陽花・芍薬や桔梗・百合やグラジオラス…。かつて我が家の仏さまには、いろんな季節の花がお供えされていた。母が毎朝、草取りや施肥など丹精込めた裏庭の花々だった▼高齢になった母に頼まれ、初めは庭を手伝った私だが、煩わしくなり、たまに機械で草刈りするのみに…。それでも毎年雑草の間に逞しく咲く宿根草や球根花を、購入した供花に添え、お盆には供えてきた▼だから、今年もそのつもりで、花切鋏を手に裏庭へ向かったのだが、そこに花はなく、ヨモギやブタクサ、ススキなどが辺り一面に生い茂るばかり▼昨秋、母が病も重なり介護施設に入所して以来、私は人目につかない裏庭を放置していた。仕事や家事の忙しさを言い訳に、目を背け続けるうち、いつしか庭を振り返ることもなくなり、気づけば、母の庭を荒れ地に変えていたのだった…。自分の都合や言い訳ばかりを盛んにし、大切な真心を見失い、花や庭だけでなく、母の生き方や心までも踏みにじっていた私。情けなくて申し訳なくて涙がこぼれた▼あれから、かつての母を真似て少しだけ早起きし、庭で草取りをしている。今は、あの頃の母の丹精がわかる気がするのだ。花も草も庭に息づくすべてのいのちがこんなにも愛おしくて尊くて、きっと、仏さまにご供養せずにはいられなかったのだと思う。そんな真心を、これからは大切にしてゆきたい。(花)

2021年9月1日号
◆ふたつの居士衣
眼前に昭和55年1月1日発行の全日青(全国日蓮宗青年会)の機関紙「全國日青」がある。昭和55年といえば、宗祖日蓮聖人700遠忌を翌年に控え、全日青は一大プロジェクト「全国縦断唱題行脚」出発の年と定めていた。サブテーマに「唱えん‼ 世界平和を」とある。沖縄慰霊の日に沖縄を出発した北上コースに私も参加した。その時、私が着帯していた行脚用の居士衣はフィリピンで戦病死した師匠寺の先代の形見で、昭和8年購入と書かれた木綿製で、継ぎはぎだらけの色落ちしたよれよれの年代物であった。これに荒行堂用の兄弟子の麻の五条を着けた私は、戦争で命を落とした先代への想いもあり、意気高らかに行脚した。途中、師匠寺にも立ち寄り。玄題旗を九州から本州へと渡すコースを歩き終えた▼後日、師匠から新品のテトロン製の居士衣を渡された。「檀信徒からあまりにも粗末な衣を着ていたと話題になってなぁ…。ワシは事情は知っていたが、寄付申し出を受けた。これは素直にもらっておけ。目立ってもいい。その裏付けをちゃんとしておけばな」。師匠の言葉と真新しい居士衣を受け取った▼木綿とテトロンの居士衣には、真摯に平和を祈った真夏の唱題行脚の汗と檀信徒の思いやりがしみ込んでいる。平和への祈りと人への感謝を忘れぬよう、このふたつの居士衣は今も大切にしている。(雅)

2021年8月20日号
◆皆ともに
公務員や代議士の不祥事が続く。本来は「公僕」と呼ばれるべき人たちである。それが自己の利益や特定の人の権益を優先した行動を取っていたのだ。許せることではない▼公僕としての存在意義は、公衆のために尽くすということに尽きる。それを犯したのだから、自らその存在を否定したに等しい▼人は独りで生きることはできない。換言すれば、人は社会の一員として、社会とともに生きていくことを求められている。それ故に自分の言動が社会にどう影響するか、また逆に社会の動きが自分にどんな影響を及ぼすものかを、把握していなければならない。極端なことをいえば、社会が崩壊すれば自分の存在も消失してしまうのである。それ故に、自分勝手な行動は許されず、社会のため、他のすべての人のために尽くすことが求められるのである▼つまり自身が存続するためには、他のため社会のために尽くさなければ、自身が消滅してしまうのだ。件の公務員たちの汚職も、国同士が殺戮を繰り返す戦争も、ともに社会を崩壊させる元凶に他ならない▼現実の社会は必ずしもきれいなものではない。しかし法華経では、現実社会の泥沼にこそ清らかな蓮の花を咲かせることができるのだと説く。「汝等皆行菩薩道 当得作仏」と但行礼拝を続けた常不軽菩薩を模範として、互いに他のために尽くす、そんな社会の実現を希求する。(直)




















