2024年9月1日
■「必要悪」は不必要
広島市の平和記念式典と長崎市の平和祈念式典におけるイスラエルの駐日大使への対応が分かれたことにはそれぞれに意義があるだろう▼長崎市は「平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したい」と政治的判断ではないと強調しているが、招待しないことで「無実の人たちを巻き込む武力行為」に「No」を突きつけたように見える。(もちろん参列することで「平和」や「いのち」について考えてもらうことも大切だ)▼これを受け、長崎市の式典に原爆を落とした当事者である米国が参列しなかった。イスラエルは被侵略国であり、ロシアと同等と扱うべきではない、というのが理由だ。イスラエルが一方的にガザ地区の多くの一般市民を巻き込んでいるのは、攻撃された側だから正当な行為だといわんとしているのか▼米国人のなかには、日本への原爆投下は太平洋戦争、第2次世界大戦を終わらせるための「必要悪」だったと考えている人もいるという。それを言い出したら、戦争自体が最終的に平和をもたらすための「必要悪」になる。それは一部の為政者や指導者の「勝手な言い分」で、それを許すと彼らはいとも簡単に戦争を始めてしまう▼戦争も核兵器も「絶対悪」だ。許されるべきものではない。そしてもちろん「必要悪」も頑として否定しなくてはならない。人を傷つけてまで必要なものはない。(緑)