2014年1月20日
昔から一月は行く月、二月は
昔から一月は行く月、二月は逃げる月、三月は去る月という。時間の過ぎる速さを実に良く表現している。特にお寺は暮れからお正月が忙しい。あっという間に時間が過ぎ、気が付けばもう一月が終わる▼日蓮聖人は『妙法尼御前御返事』の中で、「人の寿命は無常なり。出る気(いき)は入る気を待つことなし」といのちのはかなさ、無常の現実を説かれた▼トンチで有名な一休禅師は、お正月になると杖の先にシャレコウベをぶら下げ、「ご用心、ご用心」と家々を回って歩いたという。お正月と浮かれている私たちに、無常迅速の警告をしたのだ▼弘安5年10月13日、日蓮聖人はお亡くなりになった。その年のお正月はかなり体調が悪かったと思う。そんな中で聖人が書いた年賀状が3通残っている。そのすべてが「春の始めの御悦び」という喜びの言葉で始まる▼聖人は無常を一休さんのように斜に構えるのではなく、無常を無常と認識した上で、だからこそ「春の始め」を迎えることを悦ぶ、という受け止め方をした▼時間ははかなくそれゆえに大事だ。しかしもっと大切なのは、その大事な時間をどう生きるかだ▼死を間近にした聖人が、無常を嘆くのではなく「春の始め」を寿がれた。このお姿に、一瞬一瞬を明るく前向きに生きる、生死を越えた生き方を感じる。そんな法華経的生き方をしたいと思う。(義)
