2022年5月10日
■3人で
先月、実家の父の1周忌を営んだ。新型コロナウイルスの感染拡大で県外の弟や持病がある伯父たちは参列が難しく、母と私の2人きりだった。いつものお檀家さんの法事と同じように、私は塔婆を書き、本堂の金襴の座布団に座った。「お父さんの法事だけど、導師として平常心で勤めなければ」▼けれども、開経偈を唱えながら、ふと目に留まったご宝前のお供物。バナナやみかん、どら焼きやお饅頭など、どれも父が好きだったものだ。心ばかりとは言うけれど、母がどんな気持ちで買い求め供えたかと思うと、胸がキュッと切なくなった▼後ろで一緒に方便品を唱えている母の隣に、かつては父も座っていたんだ…。読めないお経を一生懸命に読もうとしていたっけ…。やがて自我偈になると懐かしい父の声がしたような、また親子3人で仏さまに手を合わせている心地。お題目も、父もそばにいて共に太鼓を叩いて唱えているよう▼気づけば、私たちは心ゆくまでお題目をお唱えしていたのであった。穏やかに微笑む父の面影が目に浮かび、この功徳がたしかに追善供養になったのを感じた。思わず見上げた仏さまのお顔が本当にありがたくてまた手を合わせた▼父との時間を過ごせた今回の法事。その後のお供えのお饅頭が一段とほっこり美味しかった。3回忌にはこのお饅頭を、みんなで食べたいなぁと思った。 (花)