2022年3月1日
■傍観せず
20代で住職になった私は人生経験の浅さの引け目から、檀徒の相談事から距離を置いていた。世話人から「住職は傍観者になってはいけない。日蓮宗のお坊さんは法華経の行者だよね」と叱られた▼コロナ禍もあり、うつ病を患う人が増えたと聞く。これまでは、まじめで几帳面な人が「私が悪かったから…」と自責の念で、うつになることが多いといわれてきた。ところが「私は悪くはない、周りのせいだ」という人もうつになると報告される。自分に都合の悪いことを社会や他人のせいにしてきた人は、日常生活の奥深くまで浸透してくるコロナ禍から逃げ切れずに、うつ病に捕らわれてしまう▼問われることなく、責められることもなく、自分を取り囲む外の条件が、幸・不幸を決めているという「傍観者的発想」が原因の1つだという解説を読んで、体が固まった。40年前の私を思い出したのだ▼「一切衆生の同一の苦は、悉く是れ日蓮一人の苦と申すべし」(『諌暁八幡抄』)。日蓮聖人は人びとが共通して受けている時代苦を自ら代わって背負い、同苦の長い闇の救済の光明へと転換させる努力を策励される▼コロナ禍の中でも1人ひとりに光を当て、努力するのが日蓮宗のお坊さん、法華経の行者なのだと。法華は僧侶檀信徒ともに傍観者とならず、万事をわがこととして臨んでいかなければならない。 (雅)
