2019年8月20日
◆正しい認識を
ある田舎の小学校でデパート見学を企画した。昭和30年代、我が国が敗戦から立ち直り始めた頃のことだ▼田舎には村に1軒小さなお店があるだけだ。7階建てのお城のようなビル全体が物売り場になっているデパートなど想像もつかない▼朝早くバスに乗り、開店直後のデパートに到着した。長旅の後だ。何人かの子どもがトイレに行きたいと言う。先生の指示で、ショーケースの並ぶ通路を通って奥のトイレに行ったのだが、すぐ戻ってきて口々に「先生トイレがありません」と言う。そんなはずはない、子どもたちがトイレと表示のある中に入っていくのを先生も見ていた▼肥だめ式で育った子どもたちには真っ白な陶製の便器は、まさかこれが便器だとは思いもしなかったのである▼物事を正しく認識するということは大事なことだ。物であれ人の行為であれあるいは自然現象など、何事も正しく認識できないとこの子どもたちのようになりかねない▼凶悪事件が続く。犯人には彼なりの理由があるようだが、何れも物事を正しく認識していないために犯した犯行である▼正しく認識するためには正しい智慧が必要だ。正しい智慧を私たちに与え、仏の世界に導こうとする仏の教えが法華経だ。誰もが法華経を信じ、正しく行動すれば平和な社会が実現する。法華経の教えを伝え弘めるのは私たち日蓮宗徒の責務である。(直)