2017年9月20日
森友学園や加計学園問題で突然脚光
森友学園や加計学園問題で突然脚光を浴びた〈忖度〉(そんたく)という言葉。辞書を引くと、人の心をおしはかること、推測、と書かれている。相手の心や思いを推し測る〈忖度〉は、「思い遣る」という日本文化の基底となる心だ▼岡倉天心著『茶の本』に次のような話が載っている。息子の紹安に露地(茶室への道路)の掃除を命じた利休。掃除が終わったのに「まだ充分でない」とやり直しを。それから1時間。庭石を3度洗い、石灯籠や庭木にも水をまき、蘇苔は緑色に輝くほど。地面には小枝1本、木の葉1枚もないように掃除をした紹安。と、利休は「ばか者、露地の清掃とはそんな風にするものではない」と言って自ら庭に降り立ち、真っ赤に紅葉した一樹を揺すって庭一面に木の葉を散らし、秋の錦を現出させたという。利休の求める掃除とは単なる清掃ではない。一期一会の客に、お茶と共に最高の秋を供する。それを〈忖度〉した掃除だったのだ▼茶道に限らず日本人は「縁」を大切にした。それゆえ縁ある人を思いやる〈忖度〉も大事にした。とはいえ総理や政府高官の胸中を〈忖度〉し、公正であるべき官僚が許認可に手心を加えるなど論外だ▼信仰とはみ仏や亡き人の心を〈忖度〉する生き方。自己チュウばかりが横行する時代。せめて家族の間だけでも互いに相手を〈忖度〉仕合う、そんな仕合せな生き方をしたい。(義)