2014年10月20日
この前会ったのはいつだったかな。
「この前会ったのはいつだったかな。あの時から見ると、君もだいぶ年取ってきたようだね」。久方に出会った旧友。聞き捨てならぬ言葉に、少なからずショックを受けた▼まだそうは年取っていない。毎日歯を磨きながら見る鏡の自分に、そう評価を下してきた。しかし、日々年を取るのは自然の摂理というべきで、4年前と比べれば変化の跡が見られるのは当たり前のことである▼そう思ってみると、友人の髪も白くなり、頭部全体の透明度が高くなっているではないか。「お互いさま…」心の中でそっと呟く▼判っているようで実は一番わからないのが自分のこととはよく言われることだ。自分を見つめるには鏡に頼るほかない▼ところで時々刻々に変化するのは、顔つきや体力足腰だけではない。地位や財を得れば顔つき態度まで変わるのが、人の常だ。善く変わるのか、悪くなっていくのか。これもまた鏡に照らして見るしかないのである。ところが、世の中見渡してみると良い鏡を持っていない人たちがなんと多いことか。醜くゆがんだ己が姿に何の違和感も抱かないらしい▼法華経という明鏡に照らせとは宗祖のお言葉だが、法華経すなわち御仏に見られて恥ずかしくない生き方をすることが求められているのである。もし、仏に見せるだけの勇気がないなら、せめて「変わったな」と言ってくれる友人を持つべきではあるまいか。