2021年3月10日
■道具
お陽さまが優しく差し込む窓辺に、古びた小さな文机。昔、祖父が端材でこしらえた幅50㌢にも満たないその机を、祖母は生涯愛用した。真ん中に一つある引き出しには、今も飴色の網代編みの裁縫箱がある。針と数色の糸にわずかな道具。握り鋏は何十年も大切に使い込まれ、ピカピカに黒光りしていた▼生前の祖母は最少限の物しか持っていなかったが、ミニマリストのように充実した暮らしのために物を厳選したとか、断捨離をしたということではなかった。愛用品のほとんどは、かつて貧しい生活の中で手に入れたごく普通の量産品。でも、祖母にとってはどれも暮らしを資けてくれたありがたい道具たち。生活に余裕ができて物が存分に買えるようになっても、必要以上に買い集めることはなく、最小限の物を大切に慈しみ、心から豊かな生き方をした人だった▼残念ながら、今の私は、欲しがりで増え過ぎてしまった物に翻弄され、心も雑然と暮らす日々。そんな家で過ごす時間が増えるにつれ、限りなく丁寧だった祖母の生き方はとても尊く思え、つくづく欲深い自分にがっかりした▼窓辺の文机を照らす神々しい光。眩しいけれど温かいその光の中になんだか祖母が見守ってくれているような気がする。今日はここに、蕾が膨らんだ梅を小さな花瓶にさして置こう。(花)