2019年5月10日
■東海道の車窓から
仕事の帰り、東海道線の2階建てに乗った。なぜならいつもと違う景色が見られると思ったからだ▼人格を形成する1つに環境がある。小生の身長は180㌢だが、1㌢高くても低くても世界の見え方が違い、人格は少なからず影響を受けていただろう。2階からは、いつも満員電車に押し込まれながらも横目で見ていた景色とは全く違い、この駅のホームの上にまた別の鉄道会社のホームがあったのか、などと発見も多かった▼「世の中には絶対はない」と言う人がいる。確かに人間や自然は相対的で何もかもが移ろいゆく。例えば好きとか嫌いも相対的なもので、ある人にとっては好き、ある人にとっては嫌いとなる。もちろん同じ人でも昨日は好き、明日は嫌いとなることもある。しかし、相対的な事柄だけで人間を形成しても良いのだろうか。相対的なものを全て受け入れることができるならそれはもう仏陀であろう。たが、人間の心はいつも揺れ動く▼相対の反対にあるのが絶対という言葉だ。簡単に言えば、揺るぎない価値観で、それは日蓮宗徒にとって「釈迦牟尼仏への帰依」=「浄仏国土顕現=立正安国の実現」である。そこを生きる営みのなかで外さないことが、より人格としての芯になっていく。またそれが、相対を受け入れる心となっていく。仏と成ることを目指すとはこういうことかもしれない。(緑)