2018年7月20日
寺・墓・葬式の3離れが進み、
寺・墓・葬式の3離れが進み、寺院消滅や宗教消滅といったことが取り沙汰されている。そんな中、お寺を活性化させる未信徒教化をという動きがある。そのために寺子屋や駆け込み寺といった昔の教育や社会福祉的活動の復活、お寺のカルチャーセンター化、いまはやりのヨガやマインドフルネスといった瞑想やスポーツを取り入れようというのだ。お寺の社会化やイメージアップには悪いことではない▼ところがそうした活動を行う上で、宗教色や宗派色、また一般人にとってお題目を唱えることがネックになるという。そこで宗派色をなくし、また唱題行ではなく宗教色のない瞑想法の方がうける、というのだ。お寺に人を集めるための社会活動を進めようとしたら、宗派離れやお題目離れという新たな問題が浮上▼本来お寺とは人を仏に導く道場だ。人を集めるのはそのため。それが人集めのためにお題目を捨てて何の意味があるのか。宗祖の目指した四海帰妙とは、お題目のない烏合の集団ではないはず。お寺の社会化は、1人でも多くの人をお題目によって仏に導くため。その人集めが目的化しては本末転倒だ▼人集めも大事だがその前にお寺が人びとの成仏のための道場たり得ているのかを反省したい。まずお寺が行うべき活動を大事にした上での人集めでは。お寺が単なるディズニーランドにならないためにも。(義)