2015年10月20日
新しいもの好きの祖父が、新開発の超小型補聴器を
新しいもの好きの祖父が、新開発の超小型補聴器を買ってきた。こんな高いものを買ってきて、とグチをこぼす祖母の前で、これでもう不自由なく聞くことができると自慢する▼ところがある日、電話をかけている祖父を見るともなく見ていたところ「○○さんですか。ええっ? なんですって? ちょっと待って下さいよ」突然耳から補聴器を外して話し始めたではないか。文明の利器も単なるアクセサリーに過ぎなかったのか▼半世紀も前のことだ。そんな祖父を見ていた筆者も、齢を重ね、今や補聴器の恩恵にあずかっている。高音が聞こえにくいのだ。若い女性店員さんとか、深刻な顔つきで相談に来られる女性の、つぶやくような小声は特に聴きづらい。よく聞こえる補聴器は本当に助かる▼思うに、聞くということは相手の言葉を通して、その人を理解することだといえよう。社会生活を営む私たち人間は、相互の理解なくしては、人間として生きているとはいえないのではないだろうか。よく聞くことにより、先ず人としてのあり方の第一歩が始まる▼毎日のように報道される残酷非道な事件に接して感じるのは、自己の主張ばかり押し通し他の話を聞かず、他を顧みない人がこの世に増えているということである。そんな、人ともいえない輩にこそ、性能のいい補聴器を付けて、トックリと他人の話を聞かせてやりたいものだ。(直)