2012年12月20日
良いことをしたといって
良いことをしたといってご褒美をもらうのはとてもうれしい。自分のしたことが認められたと誇らしい気持ちになる。ところが、同じことをしてきたのに、他人だけがほめられると良い気持ちはしない。なぜあの人だけが認められるのかという思いがふつふつと湧いてくる▼逆に悪いことをして非難されたとき、同じようなことをしている他人が誰からも注意されることなくノウノウとしていると、これも気にさわる。不公平な思いというものは、子供も大人も歳に関係なく心に波風を立てるものだ▼そんなとき、有頂天になっているあの人をぎゃふんと言わせてやりたい。あるいは、偉そうなことをいう世間を見返してやりたいという思いが心に浮かぶ▼ただ、鼻を明かしてやりたいという思いが向上心につながるならば悪くはない。しかし世間をあっと言わせたいなどということになれば考え違いも甚だしい。これが一般個人を越えて、政治家の考え方となり、国のレベルにまでなっているのが今の世ではないだろうか。ただ世界を牛耳ってやりたいという政治家や国々を見ると先行きの不安を感じる▼そんな思いで宗祖のご一生を辿ると、誰にほめられることもなく、悪いことをしてもいないのに責められ、それを恨むこともなくひたすら万人の幸せを願い、法華経を伝え広めようとされたご生涯に改めて頭が下がる。そのお姿に学びたい。(直)