日蓮宗新聞
2025年5月1日号
池上本門寺でも奉行会発足
東京都大本山池上本門寺は5月9日、令和13年に迎える日蓮聖人第750遠忌に向けて「池上本門寺日蓮大聖人第七百五十遠忌報恩奉行会」を発足させた。会長を務める同寺貫首の菅野日彰猊下を導師に奉行会員となる僧侶檀信徒約50人が法味言上し、日蓮聖人への報恩を誓った。日蓮聖人ご入滅の霊地として知られる同寺は、ご正当に向けて報恩の事業を各種行っていく。
菅野会長が会員辞令を交付した後の挨拶で「ご遠忌を迎えるにあたり、第1とすることは〝今、日蓮聖人がこの時代にいらっしゃったら何をなされるか〟を考えることです。すなわち〝令和の立正安国〟とは何かを問うことです。どのような形で立正安国に向かわれるのでしょうか。例えば現代は、人工知能に逆に利用されているような様相ですが、それを扱う人間を育てていくことも1つでしょう。ですので人材の育成をまずご遠忌の第1に掲げたいと思います」と協力を依頼した。
本門寺の事業計画の現段階の案は大きく分けて「布教活動」「法要団参」「広報出版」「山内整備」の5つ。「布教活動」は菅野会長のご親教のほか、万灯講中への多くの人の参加を呼び込むものなど。「法要団参」はご正当の法要や団体参拝のプログラム策定など。「広報出版」はポスター・チラシ・教箋制作やインバウンドや子どもなど特定層に向けたものを考えている。「山内整備」は祖師堂(大堂)含む諸堂のスロープ・エレベーターの設置、参拝者向け空間の音響や空調及び座席の新調など。今後、各部会に分かれて詳細に検討される予定。

道善御房第750遠忌報恩法要営む
千葉県鴨川市大本山清澄寺で日蓮聖人恩師・道善御房第750遠忌報恩法要が3月16日に管長で住職の菅野日彰猊下を導師に営まれた。田中恵紳宗務総長をはじめ各本山の貫首や僧侶檀信徒が参列し、日蓮聖人に大きな影響を与えた道善御房の遺徳を偲んだ。
道善御房は日蓮聖人が16歳で同寺で出家得度した時の師。生まれた年は不明だが、没したのは建治2年(1276)3月16日。一説には、日蓮聖人生誕地・小湊の西蓮寺の住職だったと伝わる。日蓮聖人は子どもの頃に出会った道善御房との縁から次第に仏道を志すようになったという。日蓮聖人が12歳の時、ともに清澄寺に登った道善御房から仏教の基礎を教わられ、16歳で僧侶としての道を歩まれることになった。道善御房は、亡くなるまで念仏を捨てられなかったが、師の訃報を身延山で聞かれた日蓮聖人は、7月21日に報恩供養のために『報恩抄』を著され、兄弟子の浄顕房と義浄房に送り、派遣された弟子の日向上人が道善御房の墓前で読み上げた。
法要での読経の後、菅野猊下は報恩諷誦文で「わが祖(日蓮聖人)、如来の本懐を悟りて本化大士の自覚を得、仏勅にこたえて法華経弘通の大導師たるを得る」と述べられ、道善御房との仏縁と恩教の賜物と頭を垂れられた。また『報恩抄』の「花は根にかえり、真味は土にとどまる」の一節を拝読され、日蓮聖人の偉大なる功徳が道善御房を導くと確言された。参列者で再び『報恩抄』の一節を奉読した後、道善御房に報恩のお題目が捧げられた。
菅野猊下は挨拶で「10代の若い僧侶であった日蓮聖人が虚空蔵菩薩に智慧を願われたのは、師の道善御房のお許しがあったからこそできたこと。それほど日蓮聖人は優れた若者僧侶と期待されていたのでしょう」と日蓮聖人と道善御房の並々ならぬ関係性を拝察された。田中総長は「日蓮聖人が必ず仏法を極め、日本第一の智者となることの初心を貫き師恩に報いるという志こそ私たち門弟が範とすべきもの」と語った。最後に齊藤日敬別当が、同遠忌の報恩事業として金子日厚前別当就任時から計画されていた道善御房御廟の改修工事と歴代廟の整備が無事に完工したことを報告し、金子師と支援者に謝意を表した。
御廟は旧来の五輪塔を内部に安置する墓石が新調され、歴代廟はコンクリートの敷設や入口がスロープ化された。菅野猊下は御廟を参拝され再度頭を垂れられた。




















