日蓮宗新聞
2024年3月10日号
宗務院災害対策本部能登半島地震現地調査
「絶対頑張ろうぜ。復興するぞ。もし辛い気持ちになったら、この寺を見に来い」。〝この寺〟とは能登半島地震で本堂などほぼすべてが倒壊した石川県珠洲市本住寺のこと。石川県第2部宗務所長でもある住職の大句哲正師が地震後の管内の協議員会でこう発破をかけた。1月1日に発生した地震で管内の寺院のすべてが大小の被害を受けた。完全に本堂の倒壊が確認されたのは、本住寺のほか、同市妙珠寺(代務住職=大句師)。また輪島市妙相寺も壁がかろうじて建っているものの屋根がすべて崩れ落ち、建て替え以外、方法がないほどの被害を受けた。そのなかで、力強く発した言葉だった。
冒頭の言葉は、2月27、28日に日蓮宗宗務院・災害対策本部の光岡潮慶副本部長、第23区(富山・石川1・同2)宗会議員の栗原啓允師、橋本浩久福祉共済課長らが建物の損壊などの現地調査に訪れた際に、大句師から聞いた話だった。光岡副本部長らは同管内のうち、15ヵ寺の損壊具合を確認したが、数々の震災での被災寺院の状況を見てきた橋本課長も地盤自体が被害を受けていることに「こんな状況は初めて」とつぶやき、言葉を失った。
本紙1月20日号で既報の通り、本住寺は本堂・山門・水屋などすべて倒壊した。被災当日、大句師が境内にいた時、突然の揺れを感じ1分後には本堂が崩れた。本堂にいた寺庭婦人のわか子さんの頭の上から建物の部材が落下してきたが、仏具の太鼓と金丸が支えとなった。頭部に傷を負ったが崩れた建物内からどうにか出ることができたという。現場を見た限りでは、無事であったことがむしろ信じられなく、仏さまのご加護としか考えられない惨状だった。
大句師によると、檀家約100軒中、約50軒の檀徒宅を震災後に訪れたが、家が無事に建っていたのはたったの1軒だったという。「檀信徒が寺の状況を見るとみんな声をあげて泣いてしまう」(大句師)。信仰心が篤い能登の地域の檀信徒は、自分の寺を失くし、悲しみにくれる。だが、檀信徒がほぼ罹災している状況では、寺院の復興は後回しになってしまう。各地での大きな震災の後に生じる問題の1つが同じように起こっていた。
ほか輪島市成隆寺や能登町大乗寺、七尾市内の各寺院、志賀町妙廣寺をはじめとする寺院で、本堂や諸堂、庫裡の基盤のずれや地盤ずれの原因による大きな傾き、また崩れ、倒壊が確認された。宗務所副長を務める大乗寺住職の井前本隆師は、涙を流す檀信徒に「お寺は復興するよ。だからまたお参りしようね」と声をかけたという。「地域にとってもお寺はやすらぐ大きな存在。檀信徒自身が大変な状況なのに、気にかけてくれていることがありがたい」と前を向く。
また前住職夫人の吉田満智子さんが本堂倒壊で犠牲になった珠洲市妙珠寺では、光岡副本部長を導師に回向がたむけられた。青年会や全国日蓮宗青年会に在籍していた頃からさまざまな災害の現場で復旧・復興活動に従事してきた光岡本部長は、「しばらくすると被災地のことが風化してしまうのが世の常ですが、昔、被災地で被災者から言われた〝繋いだ手を離さないでください〟を守ることをモットーとして活動してきました。宗門の皆さまもぜひ被災地と手を繋ぎ、協力していただきたいと思います」と話した。
日蓮宗には建物災害見舞金という給付制度があるが、災害規模から当該檀信徒の負担も厳しく、とてもまかないきれるものではない。当該寺院が直接、使用できる日蓮宗災害義援金が有効な手立てと助けとなる。
2024年3月1日号
第803回日蓮聖人降誕会
千葉県鴨川市大本山誕生寺で第803回・日蓮聖人降誕会が2月16日に営まれた。
貞応元年(1222)に小湊で産声を上げられた日蓮聖人は、混沌としていた鎌倉時代の人たちの平和と安寧のために仏法を求められた結果、『妙法蓮華経』に立脚するお題目の教えを世界に広めるために立ち上がられた。法要では、日蓮聖人の願いを引き継ぐ参列者が、同寺に新任した桐日岳貫首(3面に関連記事)とともに誕生を祝うお題目を唱えた。
行列と法要に先立ち、降誕800年慶讃記念で整備された総門そばの誕生の井戸でお水取り法要が行われた。井戸は過去の地震津波による誕生寺移転とともに現在地に移築された際、不思議に水が湧いたといわれ、旧地を偲び「誕生井戸」と名付けられている。当日は僧侶8人の修法のなか「誕生水」が汲まれた後、祖師堂ご宝前に供えられた。
日蓮聖人のご両親が祀られる同市妙蓮寺から聖人ご幼像の御輿渡御が僧侶檀信徒約100人で行われ、春の陽気が一足先に漂う小湊の町にお題目を響かせた。雅楽の音が響くなか法要が始まり、読経が捧げられた。桐貫首は慶讃文で、ご誕生から始まる日蓮聖人のご事績を讃えた。また法要後の挨拶では、「石川日前貫首が〝よみがえり〟という言葉を掲げ、心の復興を提唱していました。その思いを受け継ぎ、心の拠り所となるお寺を目指していきます」と話した。
加行所54人が成満迎える
千葉県市川市大本山中山法華経寺に開設されていた修法を相承するための修行場・日蓮宗加行所が2月10日に成満を迎えた。6回以上の修行を積む参籠の僧侶から初めての僧侶までの54人全員が、11月1日から行っていた寒壱百日の読経水行三昧を果たし終えた。
午前6時頃、結界修行場との境目を示す「瑞門」が100日ぶりに開き、新井日湛貫首や訓育を担う松宏泉伝師をはじめ、修行僧が姿を現した。迎えた檀信徒は入行していた住職らを見つけると、「よく頑張ってくれました」といたわりの言葉を口々にかけた。
成満会では修法師としてより成長した僧侶やこれから修法師として新たな一歩を踏み出す僧侶が、人びとの安穏のために『法華経』・お題目の広宣流布を誓う大音声の読経を響かせた。挨拶に立った田中恵紳宗務総長は同寺での加行所が50年の節目を迎えたことにふれ、「先師によって繋がれてきた歴史の重みを一身に受け止め成満を果たした顔をしています」と称え、「立正安国・四海帰妙達成のため、自分をさしおいて布教伝道に邁進を」と要請した。新井貫首は「若い力をもって頑張ってほしい」と激励。松伝師は「加行中、発生した能登半島地震の犠牲者への供養や早期復興をみんなでお祈りさせていただきました。世界各地の自然災害だけではなく、戦争で尊い命が失われています。悲しみの現状をまのあたりにし、加行僧全員が立正安国の大願を果たすことを改めて目指すために行をしました。今日からが本当の修行として精進してほしい」と期待した。最後に全堂代表の廣橋是晃師も能登半島地震に言及し、「つねに人びとの苦しみに寄り添うことを大切にしていきます」と誓った。
五行で入行していた石川県羽咋市善住寺住職の山川知則師は加行所で地震を感じ、聞きづての情報から地元能登での地震であることを知った。「ただ回向と祈願をすることしかできませんでした。地元の僧侶が夜を徹して支援に頑張っていることを聞くと、とにかく自分もできることをしていかなければならないと思っています」と沈痛な面持ちで話した。また迎えに来た同寺総代の長浦邦男さん(82)は、情報不足での不安や地元に駆けつけられなかった山川師を案じ、「大変、苦しかったと思います」とだけ話し、言葉をつまらせた。加行所では松伝師とともに地震発生時から回向と祈願を続けてきた。2月8日には新調された位牌と祈願札が安置された。