日蓮宗新聞
2024年7月20日号
山梨県総本山身延山久遠寺開創会
山梨県総本山身延山久遠寺で第751回開創会が6月15~17日に開かれた。16日には一番賑やかなご入山行列が、総門から門前町を通って三門まで行われ、身延山初夏の風物詩を参拝者が楽しんだ。
ご入山行列は、うちわ太鼓を叩きながらお題目を唱える行脚隊を先頭に、「せいよー、おいやせー」と独特の掛け声の奴行列、日蓮聖人代の檀越・曽谷教信、江戸時代の篤信者・お万の方などに扮した時代行列、華葩(散華)を撒く僧侶、浜島典彦総務を乗せた駕籠、そして万灯行列という、いろとりどりの華を山内に咲かせた。
行列の終点となった三門では浜島総務を導師に法味言上が行われた。浜島総務は挨拶に立ち、「1月21日に遷化された第92世内野日総上人の〝愛される身延山〟を第93世・持田日勇猊下のもと継いでいきます。そして、皆さまのお力を借りて身延山から世界に向かってお題目を発信していきます」と宣言した。
日蓮聖人御廟所域にある御草庵跡で持田法主猊下を導師に法要が営まれた。神聖なる区域に雅楽、声明、読経、『身延山御書』の一節、法華和讃、お題目が響き渡ると参列者は、「釈尊が住まわれたインドの霊鷲山が身延山に移ってきたように」感じていた。
昨年に第750回の節目を迎えた身延山久遠寺は持田法主猊下新体制のもと、新たな1歩を踏み出すこととなった。
2024年7月1日号
おぼんのきせつ
家に帰ってくるご先祖さまのみ魂をお迎えし、いっしょに過ごす期間がお盆です。各家では精霊棚をしつらえ、故人が好きだった食べ物などをお供えします。
お盆が近づくと、祖母のことを思い出します。祖母はいつもうれしそうにお盆の支度をしていました。祖母の夫、つまり私の祖父は戦争で若くして亡くなりました。祖父の写真は戦災でほとんど焼けてしまい、遺ったのはたった1枚だけです。私が祖父の顔を知るすべは、それだけしかありませんでした。祖母は大切にしまってあるその1枚を、お盆のときだけ文箱から出して精霊棚に飾りました。
「甘い物が大好きな人だったから」といつも精霊棚に大福や羊羹をお供えしました。そして合掌を終えると、「いっしょに食べよう」といって2人で分け合っていただきました。そのとき決まったように祖父との思い出ばなしがはじまります。会ったことのない人の話は、まだ子どもの私にはピンときません。ある年、祖母の話をさえぎって「それはもう何度も聞いたよ」と席を立ってしまいました。
その時の祖母の悲しそうな顔が忘れられません。いまにして思えば、毎年同じ話になってしまうくらい、祖母には祖父との思い出が少なかったのかもしれません。ほんとうに、おばあちゃんごめんなさい。
いつしか祖父の亡くなった年を超え、だんだんあの日の祖母の年齢に近づいてきました。今年もわが家の精霊棚には大福や羊羹が供えられます。そして祖父の写真と祖母の写真が並びます。一緒に撮った写真すらなかった2人は、今年も手を取り合ってこの家に帰ってくることでしょう。
いいそびれてしまった「ごめんなさい」。照れくさくていえなかった「ありがとう」。亡くなってしまったあとでも、まだまにあいます。
「いのちに合掌」するお盆がある限り。