日蓮宗新聞
2020年12月10日号
来年9月に久遠寺制作のオペラ公演決定
「日蓮の宇宙~曼荼羅世界~」
山梨県総本山身延山久遠寺は、オペラ『日蓮の宇宙~曼荼羅世界~』を来年9月28日に山梨県立県民文化ホール(甲府市)、29日に静岡市民文化会館、30日に身延町総合文化会館で公演する。同オペラは、同寺が展開する「共生共栄運動」の一環と日蓮聖人降誕800年慶讃記念として制作。台本を仙道作三さんと身延山久遠寺、作曲を仙道さんが担当する。発案した持田日勇総務は、日蓮聖人第700遠忌代に制作・演奏された「オラトリオ・日蓮」に関係し、また平成25年には散逸していた同作のスコアをまとめて再演を果たした実績があり、音楽を用いて日蓮聖人のご生涯を伝えることに情熱を注ぐ。
『日蓮の宇宙~曼荼羅世界~』は、江戸初期に久遠寺法主となった日遠上人と徳川家康の側室お万の方が案内人となって、「立教宣言」「日蓮の自覚」「霊山浄土・身延」の3幕の構成から、数々の法難に遭われながらも『法華経』の教えを弘め貫いた聖人のご生涯を顧みる物語。オーケストラはヴァイオリン・チェロ・シンセサイザーなどを用い、7~20人編成となる予定。作曲の仙道さんは、「『日蓮の宇宙』というタイトルは日蓮聖人の無辺広大な心、『曼荼羅世界』とは図に書かれた如来や菩薩、神々に守られる民衆の心を表しています。この2つの融合を表現し、グローバル化の波で失いつつある日本文化を見直してもらいたい」と意欲を見せる。日蓮聖人役は28日の甲府、30日の身延公演を渡辺大さん(東京藝術大学声楽科卒、同大学院修士課程〈オペラ〉修了)、29日の静岡公演を志田雄啓さん(同)が務める。
持田総務は、「今、私たちが伝えたいのは人びとに寄り添われ、語りかける日蓮聖人のお姿。誰よりも強いお祖師さま像は今まで伝えらてきましたが、それは一側面でしかありません。あがってきた台本を何度も書き直してもらい、仙道さんには苦労をかけましたが、大変満足のいく台本になったと思います。音楽を通してより日蓮聖人のみ心に触れてほしい」と新時代の日蓮聖人像を描くことに強い意志を示す。
内野日総法主猊下は、「時代を超えて共有することができる日蓮聖人の人情ゆたかな物語に仕上がっています。先の見えない時代、このオペラが世の中の新しい光となることを祈ります」と作品の可能性に期待を込められている。
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仙道作三氏=秋田県羽後町出身。集団就職で上京後、町工場で働きながら独学を始める。その後、東京芸大楽理科の柴田南雄教授に師事。仏教・古事記・地球環境などをテーマに交響詩やオペラを発表。『注文の多い料理店』で第3回宮沢賢治賞奨励賞、縄文ページェント『琴の湖』で毎日地方自治大賞奨励賞、自治大臣賞などを受賞。
2020年12月1日号
日蓮聖人佐渡遠流750年 入三昧堂会で報恩捧ぐ
日蓮聖人が『開目抄』を著された霊跡・新潟県佐渡市本山根本寺で11月1日に佐渡遠流750年報恩奉行会主催の入三昧堂会並びに御更衣式法要が営まれた。また10月30、31日の2日間をかけて、日蓮聖人の思いを体現するために着岸の地・松ヶ崎から根本寺三昧堂までの行脚が行われた。
文永8年(1271)、幕府により鎌倉で捕らえられ、斬首寸前までになられた後、佐渡配流の身となられた日蓮聖人は、10月28日に佐渡島へ到着され、11月1日に塚原の三昧堂に入られたと伝わる。それから同11年(1274)2月に赦免となられるまでの間、聖人や門下の者にとって重要となる御書『開目抄』と『観心本尊抄』、そして『佐渡始顕大曼荼羅御本尊』をあらわされた。今年は佐渡配流から750年の節目となる。
根本寺の竹中日貫首は、2年前に記念法要を発願。750年の節目を迎えるにあたり、日蓮聖人が伊豆法難時に譲られた随身仏を佐渡にまで持たれていたという故事に倣い、三昧堂に安置される日蓮聖人像のために仏像を造立し、記念法要の当日に奉安するまで法華経一部を唱え、懇ろに供養してきた。
2日間の行脚には新潟県内をはじめ全国から集まった僧侶ら約50人が参加した。先導を務めたのは、竹中貫首と古くから交流がある本山妙宣寺檀徒で、新潟県北部檀信徒協議会長の猪俣昌志さん(79)。竹中貫首から依頼され、今回行脚した道の調整役も務めた。猪俣さんは、日蓮聖人が通られた道を調べている松ヶ崎本行寺や該当地域の人たちの言い伝え、史跡などを頼りに、今回のルートを決定。現在は失われていたり、歩くには難しい道もあるため、できるだけ想定に近いルートとなるように調整したという。
行脚では造立した仏像を竹中貫首が大事に随身し、全国の有志僧侶らとともにお題目を唱えながら日蓮聖人の道を一歩一歩踏みしめた。海辺からの山越えとなる厳しいルートを2日間で歩ききった僧侶の1人は「日蓮聖人が大変な思いをされながら通られたことを感じた。いつもと違った行脚となり、門下の僧侶として感慨一入だった」と報恩への思いを一層強くした。
また無事に全員を三昧堂まで導いた猪俣さんは「日蓮聖人が2日かけられたのか、それとも1日で着かれたのかはわかりません。でも三昧堂まで来られたのは事実。それを伝え続けるのが私たちの使命」と大役を終え相好を崩した。
多くの檀信徒が三昧堂を取り囲み合掌するなか、竹中貫首を導師に法要は営まれた。日蓮聖人が入られた当時の三昧堂は、雪吹き荒ぶほどのあばら屋だったことから、当時のご苦労を偲びながらの法要となった。お衣替えが終わると竹中貫首は随身仏を祖師像へ奉納するとともに、今後もこの霊跡を護っていくことを誓った。
法要後、竹中貫首は「入堂会は毎年、ひっそりと営んでいたが、この記念の年には多くの人たちと日蓮聖人の軌跡を共有しなければならないと思っていた。この法要に合わせ佐渡にまで足を運び、慕ってやまない日蓮聖人に会いに来た人たちは、かつてのお弟子さんのよう。素晴らしいことだと思う。みんなはまた自分たちの布教や活躍の場所へ帰ってしまうが、残る私たちが今日から聖人のご赦免となられる2年と3ヵ月、しっかりと給仕していきたい」と750年前を今のできごととして受け止めていた。