日蓮宗新聞

2008年10月20日号

高座説教体得の『日蓮宗布教院』

「文永8年9月12日、わが祖大聖人、松葉ヶ谷の庵室より召し捕らわれて裸馬に召させられ、鎌倉の大町・小町・雪の下、大路・小路を引廻し、名を聞くだにも恐ろしき龍ノ口刑罪の場所…」
聴衆より一段高い席に座した僧侶が、焼香・説前回向・呑茶など儀式に則り、淀みない名調子で祖伝(繰り弁)を語る「高座説教」。
江戸末期、祖師信仰の高まりと共に成立し、日蓮宗にのみ継承されてきたこの説教形式を体得するための「日蓮宗布教院」が、8月31日から9月14日までの15日間にわたり千葉県大本山清澄寺(中條日傳別当)で開催された。
布教院は明治期から開設されてきた伝統ある宗門の教育機関。戦中は中断したが、昭和22年に復活して以来、多くの説教師を輩出してきた。
今年は中條別当を院長、上村貞雄師(千葉県妙蓮寺住職)を副院長に主任講師の平野譲山師(静岡県法蔵寺住職)、講師の豊田慈證師(愛知県法華寺)らが指導にあたった。
受講したのは22歳から66歳までの僧侶42人(うち女性僧侶は4人)。期間中、院生は朝五時の起床から就寝まで、模範説教の受講、祖伝・儀式の実習と高座説教漬けの毎日。自主練習ができるのは消灯後のわずかな時間とあって、祖伝を一字一句違わず覚えようと、夜中まで練習に打ち込む姿が。まさに昼夜常精進の15日間となった。
「祖伝は日蓮聖人のお心をいただくための大切な説法。聞いている方々が日蓮聖人にお会いしているような場面をつくらなければ」と話す平野師。説教師を目指す僧侶の心構えを聞くと「説教するということは自分を見つめるということ。儀式や祖伝を習う中に、日蓮宗僧侶としての生き方を学んで欲しい」とメッセージを寄せてくれた。
◇   ◇
龍口法難会の9月12日には、清澄寺信育道場で中條別当を導師に、講師と院生が総出仕して「宗祖日蓮大聖人龍口法難会並布教院歴代先師報恩大法要」が営まれた。参列したのは勝浦市法蓮寺(塩崎望巳住職)檀信徒と鴨川市妙蓮寺(上村貞雄住職)約50人。
勝浦には高座説教の三大檜舞台の一つに数えられる「上総五十座」が伝承されており、法要後、法蓮寺檀信徒が五十座の伝統に従い、模範説教の講師・平野師をお題目の練り行列で歓迎した。
平野師は「仏意頂戴」と題し、高座説教の儀式に則って前説とよばれる法話を展開。「皆さんが毎日拝読している法華経は一々文々がお釈迦さまです。法華経の文字を見た時には、まさに生身のお釈迦さまにお会いしているように拝みたいものですね」と語りかけた。
法話は流れるように祖伝へと移り、龍口法難の一節が臨場感たっぷりに弁ぜられた。平野師の卓越した弁舌に、院生はその技を盗もうと、食い入るように見つめていた。
最後は花笠姿の法蓮寺檀信徒による「題目踊り」が奉納され、高座説教の幕を閉じた。

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2008年10月10日号

本山鏡忍寺 祖師堂、243年ぶり再建

『祖師堂再建落慶式 天童音楽大法要』盛大に

日蓮聖人「小松原法難」の霊跡・千葉県鴨川市の本山鏡忍寺(原日透貫首)の祖師堂が243年ぶりに再建され、9月6日、「祖師堂再建落慶式 天童音楽大法要」が全国各地から約500人が参列して盛大に営まれた。

解体された旧祖師堂は明和2年(176

5)、27世日源上人の代に7年の歳月をかけ建立されたもので、以来240年間にわたり法華の法灯を護り伝えてきた。その間、茅葺き屋根を銅板に葺き替えるなどの改修を重ねてきたが、長年風雨にさらされ修繕が不可能となったため、平成25年に迎える「小松原法難750年」を期して新築が決定。

平成12年に建設委員会が発足し、同時に祖師堂再建基金「法華一部講」が立ち上がった。その後同17年から建立が進められ、足かけ3年を経て今年4月、威容を誇る祖師堂の完成をみた。
再建にあたっては、京都御所や平安神宮でも用いられ、最も格式が高いとされる「入母屋造」を採用。反り曲がった曲線状の唐破風の屋根は勇壮さを感じさせる。
また解体工事中、外壁の「蟇股(社寺建築で上部の荷重を支えるための部材。下方が開いて蛙の股のような形をしている)」26枚が名工“波の伊八”として名を馳せた彫刻師・初代武志伊八郎信由の作品であることが分かり、同じく初代伊八の作品である欄間七福神の彫刻三面とともに、新祖師堂に付設された。
◇   ◇

 落慶式では法要に先立ち、原貫首をはじめ式衆と檀信徒約20人が唱題行脚。途中、一行が稚児行列と合流すると、参道は賑やかに華やいだ。法要は木の香ただよう祖師堂で、原貫首を導師に営まれた。奉告文で原貫首は建立の経緯を述べ、多くの人から支援を受けたことに深謝。感賞授与では総代と元総代の8人を代表して野村民三氏に管長表彰が、設計・施行・仏具業者に感謝状が授与された。
その後、祝辞に立った同市大本山誕生寺の石川日貫首は、大事業を成し遂げた原貫首と関係者を「ご先代がどんなにかお喜びのことと思います」と称讃し「法華経に説かれるのは唯一つ“お互いにまるい心をもちましょう”ということです。このお堂を中心として、貫首猊下の教化で“まるい心”を育ててください」と語った。
上村貞雄千葉県南部宗務所長の祝辞に続き、原貫首は「新しいお堂を200年、300年と継承し、守っていかねばなりません」との決意と共に謝辞。総代の金井輝氏は新祖師堂を「前の祖師堂の重厚さ、木の温もりを残しながらも21世紀の新しさを感じさせるお堂」とし、慶事に巡り会えた喜びを語った。
◇   ◇
法要後に行われた祝賀会では、総本山身延山久遠寺総務で東京都本山瑞輪寺の井上日修貫首が、内野日総法主猊下からお祝いの言葉を伝え、また自身が立正中学在学時に初めて鏡忍寺を訪れた時の思い出を披露して祝意を表し、千葉県市川市の大本山中山法華経寺の新井日湛貫首は「材木も少なくなり、昔のものよりも優れたものを造るのが不可能になっている今、お堂を見てびっくりしました。大変立派な復興ぶりです」と賛辞を贈った。次いで本多利夫鴨川市長は、市の観光資源でもある鏡忍寺の更なる発展に期待を寄せた。続いて鏡割りが盛大に行われ、会場は終始落慶の喜びにわいた。福岡県から駆けつけたという女性信徒二人は、「一生に一度あるかないかの、このようなお祝いの席に立ち会うことができてうれしい」と満面の笑みで語ってくれた。

特別展示
◆血染袈裟と太刀受念珠

「小松原法難」は、日蓮聖人四大法難のうちでも殉教者を出すなど、最も凄惨な法難であった。
文永元年(1264)11月11日、悲母のお見舞いのため安房に帰郷された日蓮聖人と弟子・信者が、現在鏡忍寺のある鴨川市広場付近で、聖人を敵対者とする地頭・東条景信の襲撃に遭った。このとき弟子の鏡忍房日暁は討死、急を知って駆けつけた工藤吉隆(日玉上人)も戦死し、聖人は眉間に大きな傷を負われた。
のちに吉隆の遺子が聖人の弟子・日隆上人となり、両上人の菩提を弔うため法難の地に建立したのが鏡忍寺である。
冬期間、日蓮聖人像にかけられる綿帽子は、小松原法難でのお傷を癒すためと伝えられている。
◇   ◇
落慶式当日、日蓮聖人が小松原法難の折に身につけておられたという血に染まった袈裟と、景信の太刀を受け流されたというお数珠が特別に展示された。これは聖人の大檀越・富木常忍に授けられたもので、のちに富木氏が開創した中山法華経寺に脈々と格護されてきた。新井貫首は「744年ぶりに“ご対面”が叶い、小松原のお祖師さまも喜んで下さっていることと思ます」と思いを語っていた。

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新年のご挨拶。

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