日蓮宗新聞
2022年9月10日号
地球のための 行動を考える
暑さ寒さも彼岸まで――。
今年の秋彼岸は9月23日(金)が秋分の日となり、この日が中日にあたりますので、前後3日間を足した20日(火)~26日(月)の1週間となります。
今年の夏は暑かったですね。皆さま、おかわりありませんでしょうか。
とくに暑い夏を迎えると、先人の言葉通りを期待し、彼岸が待ち遠しくなります。
もちろん冬は冬で春の彼岸が待ち遠しくなります。
人間ってわがままですね。
たしかにお風呂で例えても熱すぎても嫌ですし、ぬるすぎても嫌かもしれません。(好みはあるでしょうが)
そういう意味では、やはり「ちょうどいい」のが人間にとって良いことなのでしょう。
でも普段、「ちょうどいい」と思うことはあまりないかもしれません。
食事の塩や甘さ加減くらいは思うかもしれませんが。
ついつい必要がない食品を買い過ぎたり食べ過ぎたり、冷房をかけすぎて寒かったり、前の信号が赤なのにスピードを出したり、背伸びをして高価なものを手に入れたり…と私たちは無駄をしがちです。
たしかに世の中はものに溢れ、便利な機械や機器は快適な生活を与えてくれます。
ほんとうにありがたい世の中だと思います。
このままこれらを享受して生きていければみんな幸せですよね。
でもまわりまわって最終的にみんな幸せになるのかな、とも思います。
二酸化炭素の多量な排出によって地球が温暖化し、自然災害リスクが高まっているといいます。
近年の集中豪雨での災害のほか、日本近海では海水温度が上昇し、魚が獲れなくなっているのだとか。
だとすると、この世の中は本当に繁栄していることになるのでしょうか。
前置きが長くなりましたが、彼岸は先祖供養や六波羅蜜という修行の期間といい、また「中道」という考えが意識される期間ともなります。
仏教が説く「中道」は「かたよらない」=「ちょうどいい」ということです。
自分自身が世界のために何ができるのか。自分自身の行動の何が地球にとって良くないのか。
実は「ちょうどいい」より、もう「セーブする(抑える)」時代にきているようにも思えます。
改めてこの期間に自身の生活や生活態度を省みて、今後の世界のための生き方につなげていきましょう。

2022年9月1日号
小湊に600基の灯籠が浮かぶ
日蓮聖人ご降誕の地・千葉県鴨川市小湊で大本山誕生寺主催の海施餓鬼会法要(灯籠流し)が営まれた。小湊での灯籠流しの起源は元禄16年(1703)まで遡るが、戦後から太平洋戦争の戦没者慰霊もかねて行われており、当地の風物詩となっている。当日は祖師堂で石川日貫首を導師に法要が営まれた。その後、大小合わせて約600基の灯籠が小湊漁港に浮かべられ、訪れた多くの参拝者や観光客が手を合わせた。また漁港周辺では鯛車の練行列やカラオケ大会、太鼓演奏、キッチンカーなどの屋台も並び賑わった。

東京・千鳥ヶ淵戦没者追善供養並世界立正平和祈願法要
日蓮宗宗務院主催の「千鳥ヶ淵戦没者追善供養並世界立正平和祈願法要」が、77回目の終戦記念日となる8月15日に東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で営まれた。
同墓苑は先の大戦において海外で戦死戦没した軍人・軍属・一般邦人のなかで身元不明で引き取り手のない遺骨を納めるために国が昭和34年に建設した慰霊施設。以来、日蓮宗では毎年欠かすことなく終戦記念日に大曼荼羅御本尊を奉安してすべての戦没者を慰霊する法要を営んできた。同墓苑には、37万267柱の遺骨が納められている。(令和4年7月19日現在)
法要は、田中恵紳宗務総長が導師を務め、東京4管区の宗務所長と修法師会や声明師会の僧侶が出仕して懇ろに戦没者の諸霊に追善の誠を捧げた。あわせて法華経を説き共生社会の実現と世界平和をこの土に築き上げることを誓った。
法要後、挨拶に立った田中総長は、世界各所の終わりの見えない戦いを憂い、「暴力によって解決される問題は存在せず、そこから生み出されるものは皆無」とした。また戦後に生まれた者の役割を「史実に向き合い、数多の犠牲によって世界の歴史と文明が紡がれてきた事実を忘れぬこと」と話し、「この法儀がすべてのいのちと、その希望を未来につなげる縁となることを切望します」と結んだ。塚田章同墓苑奉仕会理事長は挨拶で64回目となった同法要への謝意を述べ、「本日の法要に参列させていただき、私自身の心が浄化されました」と語り背筋を伸ばした。
戦死した叔父を持ち、10年ほど同法要の参列を続けているという笹間芳彦さん(東京都最教寺檀信徒)は新型コロナ感染防止のため参列を控えようか悩んだという。それでも「同じ千代田区に住んでいる私が、来られない人の分も祈らなくてはと思い参列した」と話し、この法要への思いをにじませた。
日蓮宗宗務院では新型コロナウイルス感染状況を鑑み、自宅などでの参列ができるようオンライン中継を行った。
