日蓮宗新聞
2010年9月20日号
大本山北山本門寺貫首に旭日重師
学問所・重須談所の復活を構想
静岡県富士宮市大本山北山本門寺の貫首に旭日重師(御殿場市久成寺住職)の就任が決定し、辞令伝達式が9月6日、東京・池上の日蓮宗宗務院で行われた。
旭師は川名義顕師(富士宮市法華寺住職=北山本門寺執事長)、深澤尊明静岡中部宗務所長とともに登院し、渡邊照敏宗務総長から辞令と激励の言葉を受け取った。
旭貫首は「これから北山本門寺は“重須談所おもんすだんしょ”として復活する基本構想が固まりました。北山をもっと知ってもらえるように、伝統を守りながら開かれた本山を目指していきたい」と抱負を述べた。
式後、旭貫首は「北山は檀家さんが少なく、法縁110ヵ寺があるのみなので経営は難しい。これからは談所(上杉清文所長)を盛り上げ、学問所として宗門に認められるよう努力したい」と語っていた。
旭貫首の晋山しんざんは、昨年11月の本間日諄前貫首の遷化せんげにともなうもの。本間上人の本葬儀は10月26日、旭貫首の晋山式は来年3月29日に執り行われる予定となっている。

2010年9月10日号
宮崎県へ口蹄疫義援金
東国原知事から感謝状
日蓮宗宗務院は7月22日、宮崎県に口蹄疫被害義援金30万円を寄付した。
30万円は日蓮宗国際協力基金からのもので、宮崎・鹿児島・沖縄県宗務所(津江雄信所長)を通じ寄付。宮崎県の義援金配分委員会から該当する畜産農家に届けられた。
この寄付に対する感謝状が8月11日付で宗務院に届き、東国原英夫宮崎県知事が「皆さまのお気持ちが、畜産農家の方々への力強いエールとなり、関係者へのあたたかい励ましとなっております」との謝意を表している。
宮崎・鹿児島・沖縄県宗務所管内では、口蹄疫被害に対しさまざまな支援活動が行われている。5月31日、宗務所が県に50万円の寄付を行ったほか、募金箱を各寺院に配布して呼びかけたり、処分される家畜の供養を行うなど、僧侶檀信徒が一丸となった取り組みが展開されている。

禁演の落語埋めた『はなし塚』
東京・台東 本法寺 今年も先人の苦労偲び名作を供養
浅草・雷門にほど近い下町に位置する台東区本法寺(西川隆庸住職)。落語家や寄席芸人の名前がびっしりと赤く刻まれた塀を入ってすぐ右手に、大きな石碑「はなし塚」はある。
この「はなし塚」が建立されたのは、昭和16年10月。太平洋戦争へ向かう戦時下、各種芸能団体が劇、映画、講談、落語、漫才などの種目について自粛を強いられる時代だった。落語界でも演題を検討。時局にあわないものとして花柳界、酒、廓などに関する53種を「禁演落語」と決めた。
その中には、江戸文芸の名作といわれた『明烏あけがらす』『五人廻まわし』『木乃伊取みいらとり』『居残いのこり佐平次さへいじ』も含まれている。はなし塚は、それら名作と落語界の先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小咄こばなしを作る会、落語講談家一同、落語定席席主によって建立された。昭和16年10月30日に除幕供養が行われ、塚に禁演となった落語の台本が納められた。
空襲で周辺のほとんどの家が焼け落ちたなか、塚の前で禁演落語復活祭が行われたのは戦後すぐ。埋められた台本が掘り起こされ、それらに替えて戦時中の台本などが納められた。
現在のはなし塚まつり供養法要は、平成13年に落語芸術協会会長の10代目桂文治師匠が「名作と落語界の先輩の霊を弔いたい」と始めたもので、毎年8月31日、同協会に所属する落語家や芸人約200人が参列し営まれている。
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残暑厳しい8月31日、今年もはなし塚まつり供養法要が厳かに営まれた。桂歌丸会長をはじめ落語芸術協会の幹部を中心に約50人が、白地に紺の模様が入った浴衣姿で本堂に整列。全員で手を合わせお題目を唱えた後、はなし塚の前で読経し僧侶の祈祷を受けた。
参列した春風亭昇太師匠は「今は落語の演目だけでなくやり方も自由な時代。毎年この法要に参列させていただくたびに先輩方の苦労と、恵まれた環境にある幸せを感じています」と話していた。
