2010年9月10日号
禁演の落語埋めた『はなし塚』
東京・台東 本法寺 今年も先人の苦労偲び名作を供養
浅草・雷門にほど近い下町に位置する台東区本法寺(西川隆庸住職)。落語家や寄席芸人の名前がびっしりと赤く刻まれた塀を入ってすぐ右手に、大きな石碑「はなし塚」はある。
この「はなし塚」が建立されたのは、昭和16年10月。太平洋戦争へ向かう戦時下、各種芸能団体が劇、映画、講談、落語、漫才などの種目について自粛を強いられる時代だった。落語界でも演題を検討。時局にあわないものとして花柳界、酒、廓などに関する53種を「禁演落語」と決めた。
その中には、江戸文芸の名作といわれた『明烏あけがらす』『五人廻まわし』『木乃伊取みいらとり』『居残いのこり佐平次さへいじ』も含まれている。はなし塚は、それら名作と落語界の先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小咄こばなしを作る会、落語講談家一同、落語定席席主によって建立された。昭和16年10月30日に除幕供養が行われ、塚に禁演となった落語の台本が納められた。
空襲で周辺のほとんどの家が焼け落ちたなか、塚の前で禁演落語復活祭が行われたのは戦後すぐ。埋められた台本が掘り起こされ、それらに替えて戦時中の台本などが納められた。
現在のはなし塚まつり供養法要は、平成13年に落語芸術協会会長の10代目桂文治師匠が「名作と落語界の先輩の霊を弔いたい」と始めたもので、毎年8月31日、同協会に所属する落語家や芸人約200人が参列し営まれている。
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残暑厳しい8月31日、今年もはなし塚まつり供養法要が厳かに営まれた。桂歌丸会長をはじめ落語芸術協会の幹部を中心に約50人が、白地に紺の模様が入った浴衣姿で本堂に整列。全員で手を合わせお題目を唱えた後、はなし塚の前で読経し僧侶の祈祷を受けた。
参列した春風亭昇太師匠は「今は落語の演目だけでなくやり方も自由な時代。毎年この法要に参列させていただくたびに先輩方の苦労と、恵まれた環境にある幸せを感じています」と話していた。