2025年5月1日号
道善御房第750遠忌報恩法要営む
千葉県鴨川市大本山清澄寺で日蓮聖人恩師・道善御房第750遠忌報恩法要が3月16日に管長で住職の菅野日彰猊下を導師に営まれた。田中恵紳宗務総長をはじめ各本山の貫首や僧侶檀信徒が参列し、日蓮聖人に大きな影響を与えた道善御房の遺徳を偲んだ。
道善御房は日蓮聖人が16歳で同寺で出家得度した時の師。生まれた年は不明だが、没したのは建治2年(1276)3月16日。一説には、日蓮聖人生誕地・小湊の西蓮寺の住職だったと伝わる。日蓮聖人は子どもの頃に出会った道善御房との縁から次第に仏道を志すようになったという。日蓮聖人が12歳の時、ともに清澄寺に登った道善御房から仏教の基礎を教わられ、16歳で僧侶としての道を歩まれることになった。道善御房は、亡くなるまで念仏を捨てられなかったが、師の訃報を身延山で聞かれた日蓮聖人は、7月21日に報恩供養のために『報恩抄』を著され、兄弟子の浄顕房と義浄房に送り、派遣された弟子の日向上人が道善御房の墓前で読み上げた。
法要での読経の後、菅野猊下は報恩諷誦文で「わが祖(日蓮聖人)、如来の本懐を悟りて本化大士の自覚を得、仏勅にこたえて法華経弘通の大導師たるを得る」と述べられ、道善御房との仏縁と恩教の賜物と頭を垂れられた。また『報恩抄』の「花は根にかえり、真味は土にとどまる」の一節を拝読され、日蓮聖人の偉大なる功徳が道善御房を導くと確言された。参列者で再び『報恩抄』の一節を奉読した後、道善御房に報恩のお題目が捧げられた。
菅野猊下は挨拶で「10代の若い僧侶であった日蓮聖人が虚空蔵菩薩に智慧を願われたのは、師の道善御房のお許しがあったからこそできたこと。それほど日蓮聖人は優れた若者僧侶と期待されていたのでしょう」と日蓮聖人と道善御房の並々ならぬ関係性を拝察された。田中総長は「日蓮聖人が必ず仏法を極め、日本第一の智者となることの初心を貫き師恩に報いるという志こそ私たち門弟が範とすべきもの」と語った。最後に齊藤日敬別当が、同遠忌の報恩事業として金子日厚前別当就任時から計画されていた道善御房御廟の改修工事と歴代廟の整備が無事に完工したことを報告し、金子師と支援者に謝意を表した。
御廟は旧来の五輪塔を内部に安置する墓石が新調され、歴代廟はコンクリートの敷設や入口がスロープ化された。菅野猊下は御廟を参拝され再度頭を垂れられた。




















