2025年7月1日号
宗門法要・終戦80年戦没者追善供養 世界立正平和祈願法要
日蓮宗は6月5日、東京都大田区大本山池上本門寺で終戦80年戦没者追善供養と世界立正平和祈願のための宗門法要を菅野日彰管長猊下を大導師に営んだ。今年は1945年(昭和20)8月15日の太平洋戦争の終結から80年の節目を迎える。菅野猊下をはじめ、参列した総本山身延山久遠寺の持田日勇法主猊下、各本山貫首、宗会議員や宗務所長などの僧侶や檀信徒約200人が、民間人を含む戦争によっていのちを落としたすべての人たちへの供養や2度と争いを起こさない誓い、そして世界に恒久の平和が訪れることを祈った。
■戦没者約310万人
1941年12月8日、日本軍が米国ハワイの真珠湾への奇襲や当時イギリス領だったマレー半島への進軍で太平洋戦争は始まった。42年4月には米軍(連合国軍)による日本本土への初空襲、43年10月には兵力不足からの「学徒出陣」、44年10月には特攻隊による攻撃の開始、45年2月には日本領の硫黄島に米軍が上陸、同3月には東京大空襲、同4月に沖縄本島に米軍が上陸、そして人類史上最も凄惨な同8月の米軍による広島と長崎への原爆投下などを経て戦争が終結した。戦没者数は約310万人にものぼった。
本殿で営まれた法要は副導師に川口久雄宗会議長・磯貝宣明審査会長、式衆は東京都4管区の声明師会員が務めた。方便品の読経、咒讃に続き、田中恵紳宗務総長がご宝前で表白を述べた。「先の大戦により人心は修羅のごとく、国土は地獄と化す。尊きいのちは南溟の蒼海に沈み、玄岳の峻嶺に斃れる。紺碧の空は黒煙に充ち、翡翠の河は赤き血汐に染まる」と戦争の悲惨さを告げた後、〝勝つ者は怨みを招き、敗れたる者は苦しみを増す。そのいずれをも離れたる者は、心安らかにして幸いなり〟という釈尊の言葉を引用し、「身命を賭して戦火の止まんことを祈り、平和の来たらんことを求められし万霊の心情に思いをいたし、諸霊に報いる道は係る無念を晴らすにあらず、身心安穏なる平和世界を此の土に築き上げることにあると覚知せり」と表し、立正安国の実現に向けて歩む新たな決意を示した。
■立正安国の第一歩に
自我偈の読経、日蓮聖人ご遺文『観心本尊抄』の拝読と唱題が行われ、参列者たちの供養・平和・誓願の音声が響き渡った。菅野猊下の回向では「太平洋戦争、戦死病没・戦災殉難の諸精霊位。仏果増進、追善菩提、座法蓮華、成等正覚。殊に祈念し奉る我ら日蓮門下一同、世界立正平和活動を推し進めて、立正安国世界平和国土安穏万民快楽ならしめ給わんことを」と願われた。またご挨拶に立たれた菅野猊下は「想像を絶する被害・苦しみ・悲しみは世界各国に及び、言葉では表せません。しかし、80年の歳月が過ぎ、体験者の減少による忘失が危惧されるなか、あえてあの経験を忘れ去ろう・記憶から消そうとしている風潮もみられます。さらに悲しいことに世界はまた争いの道に入ろうとしています。戦争未体験者による大国主義、専制主義がまかり通り、原爆投下も含めた第3次世界大戦に向けての足音が私には聞こえてきます。唯一の被爆国である日本だけはこの流れに乗らず、逆に世界平和への先導者になってほしいのです。戦うよりはるかに難しく重い忍耐心が求められる〝世界平和 対話の世界〟のリーダーになっていただきたく、ひたすら祈っています」と話された後、「日蓮聖人は、お題目の心で人びとの安心と国の平和を祈り、立正安国を呼びかけられました。この法要がその御心の実現に向けての第一歩となることを願います」と結ばれた。
続いて朗峰会館で持田法主猊下のご挨拶と東京大空襲でのご体験、広島県妙法寺檀徒・広中正樹さんの広島での被爆体験が語られた。(持田猊下と広中さんの体験談は本紙8月1日号に掲載予定)。
参列者のなかに33歳を過ぎてからペリリュー島、サイパン島、グアム島をはじめ、さまざまな日本軍の激戦地を訪れ慰霊を続けてきた小林妙馨師の車椅子から祈る姿があった(写真左㊦)。出身の富山で空襲に遭っている小林師は、ほかニューギニア、ミャンマー、タイなどにも赴き、戦闘で亡くなった兵士を想うのみならず、飢えに苦しみながら亡くなった兵士のために日本からの水・茶・酒・供物などの供養の品を持参してお経をあげている。「どこの国でも欲張りだから、ほかの国のものを欲しがって戦争する。今、日本人も感謝を忘れてしまうと、また大変なことが起こる」と警鐘を鳴らした85歳になる小林師は、まだ動けるうちに再び慰霊の旅に出ることを話した。




















