2024年4月20日号
「中山法華経寺文書」が国の重要文化財に
国の文化審議会は3月15日、千葉県市川市大本山中山法華経寺に恪護される「中山法華経寺文書」839点を重要文化財にするよう文部科学省に答申した。
同寺に伝わる古文書は、日蓮聖人の時代から明治に至るまでの約650年間にわたる貴重な史料として、学界から注目されてきた。その内の日蓮聖人のご真蹟遺文は、すでに国宝・重要文化財に指定されている。今回の指定は、それ以後の古文書のすべてが対象となった。これらの古文書は、全体が「中世文書」と「近世文書」に二分され、現在は本院に所蔵されている。
中世文書は、同寺開祖の日常上人(富木常忍)の『日常置文』から始まる。置文とは遺言書のことで、その冒頭に「日蓮聖人御真蹟を護持すべし」と、一門への使命が確言されている。
中山法華経寺の伽藍が整備され、全国的に末寺が広がったのは、3世の日祐上人の代である。下総国の有力な武士として知られる千葉胤貞が信徒となり、その実力を背景にした日祐上人は、多方面にわたる活動によって寺院の基礎を固めた。
法華経寺はその後も室町幕府の関東管領や戦国大名など多方面の外護を得ながら、法灯が継承され続け、法華経信仰を弘める拠点となった。中世文書は、その確かな足取りを物語っている。その全貌は、立正大学名誉教授・中尾堯氏の『法華経寺史料』に「法華経寺文書」として収録されている。
近世文書は、代々の貫首が秘蔵した「貫首要函」の書類で、昭和36年に法宣院主の遠藤日輝上人の配慮によって整理され目録が作成された。当時学生だった宇佐美喜之(現山梨県徳本寺住職)・作田健児両氏の協力で調査が完了した。
文書の内容には、京都の頂妙寺・本法寺、堺の妙國寺の3本山から輪番で入山する貫首が心得ておくべき事項がまず挙げられる。すでに刊行されている『治要録』をはじめ、年中行事帳・宝物帖・本末寺帳などが揃う。一門の寺院を率い、寺の伝統をまもり日々の勤めを果たすという、貫首の使命が物語られている。
中山法華経寺の運営をめぐる経済面の文書も重要である。収入については、3つの項目がみられる。1つ目は、幕府から朱印地として認められた寺領などからの年貢の収入である。2つ目は、お会式や千部会などの法要をはじめ、鬼子母神・妙見神の縁日での、題目講をはじめ参詣者からの寄進である。3つ目は、積み立てた祠堂金を千部会に出仕した門末寺院に貸し付けて、お会式に利子をつけて返済するという利子収入である。この3項目の収入を確保するための台帳がしっかり整えられている。一般の寺院と違って、葬式法要の収入の記録がなく、祈祷修法による現世利益を祈願する中山法華経寺の特色といえる。
支出についての記録は少ないが、祖師堂をはじめ諸堂の造営や修理など、臨時費の文書が多いものの、経常費の記録などは見られない。昭和18年4月11日に、中山法華経寺の庫裡や書院が焼失した。この火災によって、「紺表紙」とよばれる寺の日誌をはじめ、日常上人の寺務に関する書類もともに焼失してしまった。この「貫首要函」が残ったことは幸いである。
この度の「中山法華経文書」新指定によって、中山法華経寺に伝来する古文書は、すべて重要文化財に指定された。後には聖教殿に収める聖教十数冊を残すのみである。中山法華経寺文書の冒頭にある「日常置文」の通り、数多の聖教を護持する態勢は整ったといえる。
