2022年4月20日号
日蓮聖人坐像が京都本山妙覺寺に帰山
京都市本山妙覺寺格護の国重要文化財・日蓮聖人坐像の修復が完了し、3月30日に遷座式が宮﨑日嚴貫首を導師に営まれた。同坐像は古来、日像上人発願により制作されたと伝わってきたが、今回の修復で後頭部の内側に10㌢四方の日像上人直筆の曼荼羅が貼り付けられていることが発見されたため、確実となった。曼荼羅の花押は延慶2年(1309)~応長2年(1312)に書かれたものと酷似していることから、その頃に制作されたものではないかと推測される。後に勅願寺となる妙顯寺建立前の同年代は日像上人が布教のために上洛してから25年ほどにあたり、同坐像が当時活躍していた仏師の系統・院派の院興作であることからすでに教団としての礎をこの頃には築き上げていた可能性を示すという。
像高81㌢の同坐像の像容は僧綱領の法衣をまとい、袈裟と横被を掛け、『法華経』と檜扇を手にする日蓮聖人像典型の説法像。黒目の視線が中央に寄った「寄目」のため、前方の1点をじっと見据えた集中力のある顔貌で「生御影」に相応しい肖像彫刻と評される。令和元年の国の重要文化財への指定は、当代肖像彫刻の重要作例として、また日蓮聖人像として東京都大本山池上本門寺の日蓮聖人坐像に次ぐ作例として認められたことによる。今回修理を担当した公益財団法人・美術院国宝修理所の山修所長は「後世の修理で変更された部分があったが、今回の修理で当初の姿が戻ってきた。日蓮聖人のお姿が写実的に造られたお像」と価値を話す。
遷座式を見守った中尾堯立正大学名誉教授は、「妙顯寺の建立前にこの日蓮聖人坐像が制作されたとすれば、すでに京都での法華信仰・祖師信仰は弘まっていたと考えられる。今までの認識が覆された」と驚く。宮﨑貫首は「本当に良いお祖師さま。ぜひ団体参拝でこの日蓮聖人坐像にお会いしにきてほしい」と同坐像の帰山を喜んだ。
推測される年代が正しければ、池上本門寺の次に古い日蓮聖人像となる。
※日像(1269―1342)=日蓮聖人のご遺命を受け、帝都弘通を果たす。建立の妙顯寺は宗門初の勅願寺となった。
