2018年8月10日号
福山市常國寺が宗門史跡に
広島県福山市常國寺が「日親上人西国布教の道場」として宗門史跡に指定され、7月3日に認証式が東京都大田区の日蓮宗宗務院で行われた。全国で22番目の宗門史跡指定で、広島県では初の指定となった。
常國寺は領主の渡邊越中守兼が「なべかむり日親」として有名な久遠成院日親上人を招いて文明年間(1469~87)に創建した寺院。日親上人は九州総導師として九州布教に尽力。京都市本法寺(現・本山)と佐賀県小城市光勝寺(現・本山)間を幾度となく海路を使って往復した。常國寺は瀬戸内航路の要港・鞆の浦に近く、風待ちや中継点として常國寺に留まることが多かった。同寺には日親上人に関わる貴重な寺宝が格護されている。また同寺の創建により地域の法華信仰が盛んになり、周辺地域一帯が皆法華に帰依し、多数の講中が同寺を信仰の拠り所とした。また織田信長に京都を追放された室町幕府最後の将軍・足利義昭が同寺に寓居したことで鞆幕府とも呼ばれた。義昭は上杉謙信など全国各地の有力大名に打倒信長の書状を発したが、同寺にはそれをしたためる際に使われたとされる硯・筆などが収められた蒔絵硯箱が現存する。
認証式で中川法政宗務総長は「宗門史上、日本史上で重要な役割を占めただけでなく、現在・未来の布教に資する内容を持った点が指定の決め手となった。講中をはじめ古来の信仰の姿を現在にとどめていることは、全国の日蓮宗寺院に対する範ともいえる。この指定が地域におけるさらなる信仰の盛り上がりにつながると期待している」と話した。濱田壽教住職は「檀信徒はこの指定を喜んでおります。ますますの信仰の増進と護持に向け、檀信徒とともに今日から心新たに精進いたします」と応えた。
中尾堯文宗宝霊跡審議委員会副委員長は「日親上人創建の寺院は30余あるが、本山の本法寺に次ぐ存在がこの常國寺であろうと考えられる。京都の戦災・天災から避難して運ばれてきた貴重な宝物がある。一円皆法華が達成され、現在も住職と講中がつながり合っている。法華信仰のあり方の理想を今も示している貴重な寺院といえる」と話す。常國寺のある熊野町には現在37の講中があり、寺から6㌔以内には大小30以上のお堂が飛び地境内に現存し、法華信仰の拠点となっている。また明治12年に始まる「法華経漸読千部会」は毎年4月上旬に5日間にわたり僧侶のべ約90人が出仕して営まれる。その際には地元の小学校に入学したばかりの1年生による稚児行列が盛大に行われ、春の風物詩として地域に親しまれている。