2012年8月1日号
飯高檀林の元和版「木活字」の調査進む
「日蓮宗工匠僧」が出版文化史に大きな影響 冠立正大学名誉教授らが調査
千葉県匝瑳市の飯高寺で発見された木製の活字(本紙3月1日号に既報)について、日蓮宗の宗宝霊蹟審議会(大塚泰詮委員長)の手により、新たな調査が進められている。
飯高寺は江戸時代、日蓮宗僧侶らの大学「飯高檀林」として栄え、全盛期には数千人の学僧が学んだ古刹。また、木製の活字は「木活字」と呼ばれ、木の駒に一字一字を逆字に彫りつけたもので、植字台に並べて書籍などを印刷するものを指す。
今年2月、東京都杉並区の本山堀之内妙法寺(嶋田日新貫首)が飯高寺で文化財基礎調査を行った際、中尾堯立正大学名誉教授が木活字を発見、「一切経を刊行しようと事業を起こしたのではないか」と類推していた。
これを受け、宗宝霊蹟審議会では7月2、3日、さらなる調査を実施。同会の中尾名誉教授、オブザーバーとして冠賢一同大学名誉教授らが現地に赴いた。
冠名誉教授によると、日本の印刷技術は平安時代以来、1枚の板木の表裏に彫る「整版」が用いられており、活字印刷術が伝わったのは文禄・慶長の朝鮮出兵の際で、朝鮮からこれをもたらしたのは、京都本国寺(現・大本山本圀寺)の信徒・加藤清正公ではないかと推測。
実際、諸宗に先がけて本国寺の「日蓮宗工匠僧」により、木活字で文禄4年(1595)の『天台四教義』以下、日蓮宗学・天台学書が10点近く刊行されている。遅れて本能寺・要法寺の2ヵ寺からも2、3の木活字版による書籍がみられるという。
その後、本国寺の「日蓮宗工匠僧」は関東に下り、飯高檀林で3点、同じく千葉県にあった中村檀林で1点の木活字版が確認されている。
今回の調査では、太字・細字の2種類の木活字が混在していることが判明。そのうち細字の木活字が飯高檀林の「日蓮宗工匠僧」によるもので、①仁空『新学行要抄』1冊 ②湛然述『法華玄義釈籤』6冊 ③『妙法蓮華経玄義』1冊が檀林学徒のために元和8、9(1622、3)年に刊行されたことが確認された。
本国寺・本能寺・要法寺・中村檀林には、木活字そのものは現存しておらず、元和年間の木活字を所蔵するのは飯高寺のみ。冠名誉教授は「文禄・慶長・元和・寛永初期までの40年間(古活字版時代)のなかで、日蓮宗工匠僧の果たした木活字による刊行は、この時期の出版文化史上、高く評価されてよいもの。飯高寺蔵の木活字は、この時期の出版の実態を伝える貴重な史料として、十分に文化財としての価値があるものです。しかし木活字による出版部数は100部あまりで、現存の刊本は飯高檀林にはなく、全国で1、2部あるのみ」と話している。