日蓮宗新聞
2006年6月1日号
沖縄 法華経寺で「継成式」
沖縄開教布教の確立と強化を目指し、宗門が護持管理を行ってきた沖縄県那覇市の法華経寺が、宗門の管轄から常駐住職による運営に移行される。新住職に就くのは同寺発足以来主任として開教に奮闘してきた鹿糠堯順師。5月11日、鹿糠師が宗務総長から住職を引き継ぐためのの継成の儀式が法華経寺で営まれ、鹿糠師は後に継ぐ開教師が布教に専心できるよう環境作りに熱い抱負を語った。
日蓮宗は昭和50年、鹿糠師を沖縄開教師として派遣し、浦添市に法華経寺の前身・日蓮宗沖縄布教所を開所した。沖縄布教所は昭和五十三年、現在の那覇市安里の地に移転、日蓮聖人第700遠忌の昭和56年に「琉球山法華経寺」としてスタートした。
鹿糠師は赴任当初からうちわ太鼓を手に全島を行脚し、戦没者の慰霊を行ってきた。布教所開所の翌年からは立正平和祈願祭を開始。昭和52年、激戦地摩文仁の丘で営んだ沖縄戦戦死病没者第33回忌追悼大法要には全国から約5000人、平成7年の沖縄終戦50周年記念法要には約7000人の檀信徒が結集している。
また鹿糠師は、「すべての人を受け入れよう」と、さまざまな問題を抱える青少年を預かり寝食を共にしてきた。これまで出入りした青少年はのべ760人、そのうち30人が出家している。立正安国の精神に基づき世界平和を発信する鹿糠師の足跡は、激戦の悲しみを背負う地にしっかりと根を張っている。
11日の法要は、小松浄慎宗務総長、張田珠潮総務局長、川名義顕宗会議員、佐賀県宗務所の小寺大誠所長、宮崎・鹿児島・沖縄宗務所の吉田海心所長ら関係者が参列して営まれた。
小松宗務総長は「宗門は宗祖ご降誕八百年の嘉辰をお迎えするに臨み、『立正安国・お題目結縁運動』を始動するときに値遇しております。危機の時代における立正安国の実践は、私ども日蓮聖人門下に課せられし誠の報恩行なれば、鹿糠住職におかれましては今日までの経験と実績をもとに一層の発展、教線拡張に手腕を振るい、人々と現代社会の浄化にお努め下さらんことをご期待申し上げます」と激励した。
鹿糠新住職は、「若い開教師の手本として自ら範を垂れ、自分の弟子や子供たちに師を誇り思って生きよと遺して死にたい。私たち日蓮聖人の弟子・檀那は退くことなく、前へ進んでいかなければ。世界に向かって法を説く開教師がここから巣立っていくよう、できる限りの力を振り絞っていきたい」と後進の育成に熱い思いを語った。
市街を見晴らす小高い丘に建つ本堂からは、鹿糠住職と寝食を共にする若い修行者や信徒が叩く太鼓の音が、多くの命が果てた地に染み入るように轟き渡った。
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「これからの時間は、次の開教師に継ぐための準備に全力を注ぎます」。鹿糠師は住職就任にあたり、法華経寺主任として支給された退職金のすべてを、先師の位牌と本堂整備のための仏具に変え、また、布教伝道のためにと宗門に対し100万円の特別寄進を行った。将来の開教師が寺の運営基盤に不安を感じることのないよう、納骨堂建設の企画も進めている。
「青年僧は情熱と信念をもって、孤独と貧困に耐える訓練をしなければ。日蓮宗は夢のある教団です。本島に五千人が結集したことを振り返り、はばたいて頂きたい」。数々の大病を乗り越え、命をかけて広宣流布に突き進む鹿糠師の姿は、法華の行者そのものである。