2005年2月1日号
阪神大震災 市民追悼式と交流会
阪神淡路大震災市民追悼式と交流会が1月17日、兵庫県神戸市内で行われた。10年という節目の時期、参加した市民・被災者約350人は、尊い犠牲を無駄にせず生活再建に向かって努力を続ける決意を新たにした。
この追悼式は、行政が追悼式を中止した平成13年から、“犠牲者を追悼するとともに生きることの大切さを発信しよう”と、NPO法人ボランティアネットワークEarth(石原顕正理事長=山梨県立本寺住職)が市民団体とともに実行委員会を組織し手作りで開かれてきたもので、今年で5回目。毎年追悼式後、被災者の交流会が催されており、今年は、作家の藤本義一氏と石原理事長がそれぞれ講演した。
式に先立ち、早朝追悼式が中央区諏訪山公園で行われ、地震発生の時刻を迎えると、静寂の中に読経と木鉦の音が響き、参列者が献花を行った。
追悼式は兵庫県私学会館で行われ、遺族を代表して岡田和美さんが言葉を述べ、実行委員会代表の安田秋成さんが追悼の辞、神戸区在住の琵琶演奏家・川村旭芳さんが追悼の詩を朗読した。引き続き、石原理事長を導師に音楽法要が営まれ、声明と琵琶の幻想的な調べが会場に満ちる中、参加者は10年の歳月に思いを馳せた。
交流会で石原理事長は、「大震災10年、市民追悼式5年を振り返って」と題して講演した。10年前、飛び込んだ被災地の現実は何もかも悲しく、石原理事長が感じたのは、やり場のない怒りとなすすべのない虚しさだけ。当時、遺族や生き残った被災者の悲惨さは言葉として語られることはなく、自ら生きることや生き続けることよりも、失ったものがいかに大きかったかを改めて感じたという。
仮設に移ってからも助かった命を自ら絶つ人、寒さに持病が悪化して亡くなる人、栄養失調で一人寂しく息を引き取る人を目の当たりにし、「生きること」の意味を問う毎日の中、石原理事長に活動する機会を与えてくれたのは、ポートアイランド仮設住宅自治会長、安田秋成氏との出会いだった。“こんなこっちゃあかん。仮設は生きるとこや。みんな一緒に仮設を出ような”。安田氏はみんなを励ましながら、集会所に祭壇を設け、物故者の氏名とその人数分のご飯を盛りロウソクを灯していた。最初の3年間は仮設でささやかな慰霊祭を営み、昼食はみんなで震災直後を思い暖かなごはんと味噌汁を味わったという。石原理事長は、追悼を通して被災者との信頼関係を築き、心の交流ができはじめたことを実感した。
行政が追悼式を取りやめた平成12年、“その灯火がたとえ小さくても続けて行きたい”という安田実行委員会代表の言葉にうなずく多くの被災者と共にアースも追悼式実行委員会に参加。会場探し、資金作りのための街頭募金、当日の運営をはじめ、音楽法要の準備など、多くの厚意に支えられ今日に至ったとし、石原理事長は最後に「私たちが今日まで神戸に通うことができたのは、神戸の皆様方が暖かく迎えてくれたお陰です。心から感謝申し上げます」と結んだ。アースは、今後も神戸での活動を続ける。