2004年6月10日号
ご真筆発見は日蓮門下全体の慶事
法華宗陣門流の総本山本成寺(新潟県三条市・鈴木日艸貫首)で格護されてきた曼荼羅本尊が、日蓮聖人のご真筆であることが明らかになった。これは一昨年前から立教開宗750年を記念して行われてきた修復調査で判明したもので、中尾堯立正大学名誉教授と寺尾英智身延山大学教授が確認。これまでに知られてきた日蓮聖人ご真筆の曼荼羅本尊・126幅に新たに一幅が加えられることになり、日蓮聖人門下全体の慶事となった。
中尾教授によるとこの曼荼羅本尊は、文永11年(1274)頃に佐渡ご配流中の日蓮聖人が地元の信者に向けて授与したものとみられ、日蓮聖人の布教伝道の実際のお姿を窺うことのできる証として、また当時の教団の状況を物語るものとしても意義深いという。
日蓮聖人はご生涯のうちに数多くの曼荼羅本尊を揮毫し、弟子や信者に与えられた。その形状は、丈が40cm程のものから2mを超える大型のものまで多様で、お守りとして折りたたんで懐中に入れたり、本堂や館に掲げて大人数で拝するなど、人々の信仰活動の環境に応じた様々な曼荼羅本尊が存在する。
本成寺には、古くから日蓮聖人ご真筆と伝える曼荼羅本尊が二幅ほど伝来し、一幅は佐渡で揮毫された小型(丈約44cm)のもので『御本尊集』(昭和27年・立正安国會刊)にも収録されている。しかしもう一幅については、ご真筆としての確信が得られないまま宝蔵に格護されてきた。本成寺では立教開宗750年を記念して、中尾教授に研究を依頼。同時に専門業者による厳密な修復を行ったところ、花押や筆跡・紙質など総合的に判断してご真筆に間違いないという見解に至ったという。
この曼荼羅本尊は本紙が丈百12.5cm×幅44.8cmで4枚の紙を継いだ縦長の形状をしている。紙は楮を材料にした楮紙を用い、さらに美観・強度・防虫・筆の走りをよくするために、「染め紙」(すいたままの紙を、そのまま染料につけて染める)や「打ち紙」(数枚重ねた紙を、柔らかい鹿の皮にはさんで小槌で丁寧に打つ)の技巧が施されており、当時の最高レベルの製紙技術が取り入れられている。
また、日蓮宗本山頂妙寺(京都市)に格護される日蓮聖人ご真筆曼荼羅本尊とほぼ同様の筆致と墨色が認められ、おそらくは同じ日の揮毫と中尾教授は分析する。本成寺の曼荼羅本尊は、中央のお題目が左方に少しまがり、文字以外の墨痕が散っている。こういった特徴も模写などには見られないごく自然な状態を示しているという。
中尾教授によると、日蓮聖人は信者の求めに応じ、前もって信者が用意した紙に曼荼羅本尊を揮毫されたという。折り目のない縦長の形状からは、このご本尊が多人数を集めた礼拝の場に掲げられたことが想像され、ご配流中の日蓮聖人の周囲に、幕府や他宗の圧力に屈しない信者の集団が存在していたことを物語る。
中尾教授は調査を振り返り「初期日蓮教団の解明についてはこれまでも多くの研究がされてきたが、今回の発見は当時の教団の状況を具体的に物語ってくれる」と語る。
5月28日から3日間、本成寺では年中行事の祠堂大法要に合わせて曼荼羅本尊の特別開帳が行われ、多くの僧侶と檀信徒が参集した。
鈴木日艸本成寺貫首猊下は「この曼荼羅本尊を厳格に護持し、信仰の要として後世に伝えていくことが、一門に課せられた大きな使命であると覚悟を新たにしています」と挨拶され、続いて中尾教授が今回の調査結果を参加者にわかりやすく説明した。
中尾教授は集まった人々を前に「日蓮聖人は佐渡でのご苦難の中でも、人々の信仰の姿を忘れようとはなさいませんでした。こうして本堂に掲げられると、より一層お題目が輝いて見えます。すべての人々にお題目の光はとどくのだと思えてなりません」と述べ、説明を締めくくった。
参加者も、「たった今、日蓮聖人が書かれたようなお姿に、驚きと有り難い気持ちでいっぱいです」と声をそろえて感動を分かち合っていた。