日蓮宗新聞

2004年4月10日号

身延山大学の入学式

宗門子弟養成機関の一つ、山梨県南巨摩郡の身延山学園(総裁・藤井日光身延山久遠寺法主猊下)で4月5日、平成16年度身延山大学(宮川了篤学長)の入学式が行われた。
午後1時、満開のしだれ桜がそよぐ青空の下、新入生27人、2年次編入2人、3年次編入3人の計32人(うち女性3人)が整列。入学式に先立ち佛前奉告式が、学園理事長の身延山久遠寺総務・井上瑞雄師を導師に、大学生式衆、伶倫出仕のもと行われた。
続いて、新入生の入学が許可され、宮川学長が「4年間現実と戦いつつ目標を固め、意気込みを高く掲げて大きく飛翔されるよう望みます」と式辞。続いて新入生代表の堀内昭秀さんが「私たちはこの度、本学に入学を許可されました。在学中は固く学則を守り、学業に精進することを誓います」と誓いの言葉を読み上げ、井上理事長が「21世紀の日蓮宗門を担う僧侶が必ず輩出されると確信しています。建学の精神である行学二道に努力精進して下さい」と新入生を激励した。
全国から集まった新入生は、ほとんどが久遠寺寮や大学寮をはじめ身延山内の坊に下宿しながら行学二道の研鑽に励む。
翌日は身延山高校の入学式も行われ、新入生26人が新たな目標に向かって胸をふくらませた。

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身延山久遠寺文化財調査報告書

日蓮宗総本山身延山久遠寺(藤井日光法主猊下)では、平成13年4月から身延町教育委員会により進められていた3年がかりの文化財調査が終了し、その成果として今年3月に『身延山久遠寺文化財調査報告書』(編集発行・身延町教育委員会)が刊行され、文化庁・山梨県教育委員会に報告された。
この調査は国庫補助事業として、身延山久遠寺が所有する有形文化財の全貌を把握することを目的に、中尾堯立正大学名誉教授を主任調査委員に、宗門内外から各専門分野の調査委員を動員して進められてきたもの。
今回の調査終了にともない、久遠寺を中心とした身延山全体におよぶ文化財の所在と保存状況が確認され、その成果が公表される。これにより、日蓮聖人の開創以来、七百有余年にわたる法華信仰の証として伝来する豊かな文化財の全体像が明らかとなり、今後の詳細な研究がさらに進展し、将来的な保存の重要性への再認識につながるものとして期待される。

将来的な保存の重要性再認識

 身延山久遠寺の歴史は、文永11年(1274)の日蓮聖人身延御入山に始まる。弘安5年(1282)の日蓮聖人御入滅の時には御遺言により山中に墓塔が営まれ、以来、一門の中心寺院としての伝統を支えてきた。
宝蔵には、曼荼羅本尊をはじめ著書・書状など日蓮聖人のご真蹟が数多く収められ、日蓮宗の教義の根幹をなす文献として長い間、歴代先師の手によって守り伝えられてきたが、明治8年(1875)1月10日の大火でそのほとんどが焼失。現在伝わる文化財の多くはその時に罹災を免れたものである。
今回の「身延山久遠寺文化財調査事業」は、山内の文化財を典籍・古文書・彫刻・絵画・金石文の五分野に大別し、中尾教授を中心とした30人程からなる専門の調査委員によって進められてきた。以下、各分野ごとに調査結果の概要と主な所蔵文化財を紹介する。
①典籍
典籍類は、宝蔵庫の身延文庫に納められている経典類について調査された。明治の大火以降に寄進された「日蓮聖人真蹟」、身延山歴代住職の手による著作・写本、法華経を中心とする写経・版経など、総本山にふさわしい優品が多く伝来しており信仰の軌跡を物語る。
近年研究が進んでいる『天海版一切経』は明暦2年(1656)に購入されて輪蔵に納められたもの。6千巻にのぼる大部だが、立正大学大学院生の協力により、現存する経典のすべてを調査し、その経名を報告書におさめた。
今回の調査で確認された平安時代末期制作の『紺紙金字妙法蓮華経』、武田信玄寄進の『明版妙法蓮華経』(県指定文化財)など、身延文庫に納入される法華経は版経・写経を問わず豪華な体裁を整えた装飾経が多く、あつい願いをこめて寄進されたことが窺われる。
また身延山久遠寺の11世で、伽藍の大規模な整備・教学の充実をはかるなど多大な業績を残した行学院日朝上人(1422~1500)の著作や写本の全貌が確認されたことも注目される。
②古文書
中世文書と近世文書に大別でき、それぞれ調査と研究が進められている。特に今回は、中世の甲斐地方の支配権をめぐる戦国大名の政策遂行を物語る武田信玄と家臣の穴山梅雪の文書に注目した。
③彫刻
仏像彫刻を調査対象とするが、明治八年の大火の影響が大きく、身延山久遠寺伽藍だけでは歴史的な仏像の把握は期待できないため、調査範囲を山内全体に広げ、各支院の仏像を全体的に記録した。
山内には、日蓮聖人像と日朝上人像の古像が伝わっており、室町時代の作として注目される。日蓮聖人像では鏡円坊の像が応永2年(1369)の古像と判明し、覚林坊に安置する日朝上人像が、明応4年(1495)に日朝上人の58歳の絵像を写したものと胎内銘によって確認された。
④絵画
全体的な概略の把握はすでに完了しているが、今回は調査対象を現代の作品にまで広げ詳細にデータ化。いわゆる名品だけの調査にとどまらず、所蔵される作品すべてを入念に採録したことは意義深い。国宝「夏景山水図」・重要文化財「釈迦八相図」についても作品の再確認を行っている。
⑤金石文
金属・石材の造形物を対象に、その銘文の採取に主眼を置きながら、形状と法量を記録する作業を行った。特に奥の院・七面山登詣の道筋に設置される「題目塔」「道標」「丁石」などの造形物からは幅広い寄進者の存在が確認され、当時の庶民の信仰を物語っている。

 今回注目されたのは、山内の大光坊(通称三光坊)にある天明元年(1781)の「相輪●(木へんに棠)」。この種の建造物では極めて異彩を放つ形態をしており、国内で数種確認できる相輪●(木へんに棠)のなかでも極めて貴重な位置付けができるという。
今回の調査報告にあたり、最終的な確認作業が3月26、27日の両日に身延文庫で行われたが、文化庁美術学芸課主任技官の藤本孝一氏は「さすがは総本山という感じで、興奮を覚えました。特に日朝上人の史料は草稿の現状がよく残り、著述の経緯が素直に出ています。文化財としても貴重な書籍群といえ、今後の研究進展が期待できます」と語る。
また主任調査委員の中尾教授は「今回の史料調査の成果を、これまでの個々の調査結果と合わせれば、身延山久遠寺全体の文化財の全貌を把握でき、今後のさらなる研究への道筋となるものと思います。各方面に及ぶご協力に深く感謝し、豊かな文化財の保護と継承を念願するものです」と3年間におよぶ調査を振り返った。

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2004年4月1日号

堀之内妙法寺の貫首に嶋田教正師

東京都杉並区の堀之内妙法寺の貫首に嶋田教正師(東京都杉並区宗延寺前住職)が就任、3月15日、東京・大田区池上の宗務院で辞令交付式が行われた。
岩間湛正宗務総長から辞令を手渡された嶋田新貫首は「妙法寺は江戸時代から厄除けのお祖師さまとして信仰を集めてきました。法灯を受け継ぐにあたり、さらに山門を大きく開き、檀信徒と一体となってお題目を世界に発信し、世界平和につなげていけるよう邁進していく所存でございます」と抱負を語った。
妙法寺は元和年間(1615~24)の開創。祖師堂に安置される日蓮聖人像は弘長元年(1261)の日蓮聖人伊豆法難の時、日朗上人が鎌倉由比ヶ浜に流れ着いた霊木に聖人のお姿を刻んだものと伝えられ、弘長三年に聖人が伊豆から無事に帰られた時には42歳の厄年であったことから「やくよけ祖師」と呼ばれる。また明治期に建てられた和洋折衷様式の鉄門は近代建築の名作として国重要文化財に指定されている。

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