2014年1月1日号
忍 難 慈 勝
平成二十六年の新春を迎え、本紙読者各聖各位に、年頭のご挨拶を申し上げます。また、平素は、宗門並びに祖山に対し、種々、ご丹誠をいただき、衷心より厚く御礼申し上げる次第であります。
特に、第二祖佐渡阿闍梨日向上人第七百遠忌法要奉行に際し、種々、ご協力・ご参列いただきましたこと、重ねて、厚く御礼申し上げます。
さて、昨今の世界情勢は、経済・外交など、世界が揺れています。政治は右往左往するばかりで、社会は混乱を生じ、人々は、物価・医療・福祉・教育を始めとする社会生活全般に対して、極度な不安を感じており、報道もまた、この不安を一層煽動しているかのようであります。また、収まることのない自然災害など、安心できる状況ではありません。
このようなご時勢で、私たちの指針となるのが、日蓮聖人が、文永九(一二七二)年二月、御年五十一歳にて佐渡においてご撰述になった『開目抄』の「日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし」の一節であります。
日蓮の法華経の智解は、中国の天台大師や日本の伝教大師に比較すれば、千万分の一にも及ぶことがないけれども、しかしながら、法難を耐え忍び、一切衆生を救わんとする慈悲においては、何ものにも劣るはずがないということは、日蓮自身が恐れおののくほどである、というものであります。
日蓮聖人ご自身、「大難四か度、小難数知れず」とおっしゃったように、迫害留難に忍び耐える日々でありました。
しかし、この忍難は、ご自身の栄達や利益のためではなく、地上の人々を全て成仏せしめるための限りない大慈悲心が根底におありだったからのことでした。
とかく、この世は「苦の娑婆」といいますが、日蓮聖人のように、いかなる苦難が重畳しようとも、不退転の強盛なる信仰心を持ち続けなければなりません。
久遠のお釈迦さまのご功徳が具わるお題目を持ち、このお題目を頼りにして、生きとし生けるもの全てに、慈悲の心、明るく広い心、温かい心を捧げていきましょう。
そして、自分ばかりか、世界中の人々が、笑顔で安楽に暮らせる社会が来るように、法華の信奉者として、この社会づくりを目指して努力精進していきましょう。
日蓮聖人が、霊山浄土を感得された棲神の聖地身延山より、本年が、皆さま方にとりまして、平安で光輝ある一年となりますようお祈り申し上げます。
結びに、本年もまた、宗門や祖山に対し、本紙読者各聖各位の絶大なるご支援・ご協力をお願い申し上げ、意を尽くし得ませんが、ご挨拶といたします。
南無妙法蓮華経
日蓮宗管長
総本山身延山久遠寺法主
内野日総 猊下